ブログを公開したところ、予想外のアクセスがありちょっとドギマギしています。
こんな個人のつぶやき、0か、見に来てくれても1か、2人くらいかな、、、と思っていたのですが、Facebookにリンクを貼った日から、1日で100名を越す方が見に来てくださったようで…
ありがたいです😭
恥ずかしいです💦が、やはり読んでくださる方がいらっしゃるのは嬉しいです。。
アクセス数だけがでて、どなたが読んでくださっているのまではわかりませんが、、読んでくださる方々、
ありがとうございます🙏
変わらず淡々と書いていきます…。
前回の続きです。
そのあと(佐渡ヶ島の合宿から帰って学校に行けなくなってしまったあと)どうなったかというと、
周りで信頼出来そうな大人ー
父親や、
ものがたり文化の会の先生に話を聞いてもらったりしながら、
結果
しばらくして高校に、また通う事ができるようになりました。
はじめは、おそるおそる学校に行って、
友達が「大丈夫?」と声をかけてくれたところから、「うん、、、」と
できるだけ、表面的でない、自分の深いところの本心に近い言葉を発せられるように、気をつけて話していたと思います。
人付き合いは前よりほどほどに、でも、見え方が違うと、今まであまり、話さなかったクラスの少しおとなしめ?でもなんか色々深く考えてそうな子とかとも話せるようになって、
それから、割と、人とも本質的な話をできるようになったと思います。
だから高校3年生の時はいろいろ議論したり
将来についてとか
まだ何も世間を知らない高校生が
いろいろなこと話してたなぁ 笑
でもそれが楽しかったなぁと思う。
18才って、今から思うと本当に影響受けやすくて、いきなり山に籠ったり学校に行けなくなったりして、笑っちゃうんだけど、当時の自分にとっては一大事だったし本当にそうだったんだよな、と思う。
それに、その年齢の敏感さじゃないとそこまで影響を受けられなかった、というものもあると思う。
ものがたり文化の会を、子どもたちのために開いてくれた先生、その周りで運営を支えてくれた大人たちは、本当にすごいな。
それから卒業までは、その高校では、文化祭がとても盛んで、全クラスが演劇をすることになっていた。
私は舞台監督になり、本気でぶつかり、新撰組の頃の時代劇を見事成功させ、みんなが青春をかけて本気で目指したトップの城陵大賞を獲得した。
なんだかんだで充実した楽しい時間を過ごした。
そこからが、もう、みんなとは別の道を行くことになった。
その高校の9割の生徒は大学に進学するような学校だった。
私も散々、「大学に行った方がいい」と母親に言われたけれど、当時まったく意味が分からず、魅力も感じていなかった。
どうしても舞台のことがやりたかった。
もちろん、大学でもそれができるところや、芸術学部、なども考えたし、ちゃんと大学見学にも行った。
でもいまいちピンと来なかった。
いやいや、そんな大金はらってもらってまで大学でやることじゃないでしょ、という気持ちもあった。
高校の先生が、私のような先進的な考え方の持ち主なら、推薦したい大学がある、とも言ってくださったが、辞退した。
視野が狭かったのかもしれない、とにかく頑なだった。
あの堀川さんが、
自らがずっと住んで踊りをしていた本家本元みたいな場所を、勧めてくれた。
山梨県の白州にある、身体気象農場ー田中泯さんのところだった。
冬に、合宿があるという。
もちろん私は、申し込んだ。
興味のあることに全身で突っ込むことができたこの頃の自分、今から思うと羨ましい。
大人の今の私は、そう簡単にできない。
視野は狭くても、その年齢でしか出来ないことを思いっきりやった過去の自分に、今あらためて、大人の自分から賛辞を送りたい。
これを赦してくれた親にも
当時ラーメン屋さんでアルバイトしていたけれど、きっと足りなくて親に出してもらって合宿に参加したはず。
お金を出してくれた親にも
本当に、感謝しています。