堀川さん と出会って
舞踏 の世界にのめり込んでいった私は、
その出会いの次の春に、堀川さんが主催していた身体のためのワークショップ合宿に、佐渡ヶ島へ渡った。
佐渡ヶ島は新潟市からフェリーで向かうのだが、
その自然豊かな佐渡ヶ島の中でもさらに山の中にある、人里離れた廃校になった小学校で、他の参加者の方々と寝食を共にしながら、ワークショップに参加した。
小学校の中の広い部屋(体育館?)で、
端から端まで音楽に合わせてノンストップで何時間もいろんなやったことのないような動きをしながら行ったり来たり(もう、息も絶え絶え、吐きそう)
2人1組になって、相手の呼吸を感じ、共に在りながらペアの人の身体を曲げたり伸ばしたり押したり引っ張ったり。
身体の一部分に風のような刺激を送ってその風を感じて動いてみたり。
イメージをしてそのように動いてみたり。
グループになって、一人を目隠ししてみんなで運び、山の中の木の下とかどこかに置いて来たり。(端から見たら何やってんのか怪し過ぎるよね!笑)
そのどこかに置かれた人は、木の下の温度や苔の匂い、鳥の声、陽射しや日陰の違いなどを五感でただただ感じる。
言葉はない。
建前のようなやりとりもない。
本当に、身体の感覚を研ぎ澄まし、いままで使っていなかった五感を呼び覚ます日々だった。
休み時間には島に生えているこごみなどの山菜をとって、ご飯の時間に天ぷらにして食べたりした。
そして、普通に会話する食事の時間などでも感じたのが、その合宿に参加していたほかの大人たちは、今までの生活では出会ったことのないような種類の人ばかりだった。
なんというのだろう。
まったく、世間に合わせて生きてない。
っていうか、
自分を、しっかり持っていて、
自分の目で世の中を見て、自分の言葉を喋り、
建前やうわべだけでは生きていない、価値観を他人(世の中)に決めさせて生きていない人ばかりだった。
そんな大人たちと数日を過ごし、
まだ高校生だった私は、合宿が終わって当然、岐阜の家に帰った。
そしたら、
大変なことになってしまったのだ。
人と会えなく、話せなくなってしまった。
その理由は、、、
自分から出てくる言葉が、本物か本物じゃないか、
自分の深いところから出てくる言葉なのか、そうじゃないのか、
自分の次の行動は、何ゆえに起こるのか、
何がそうさせるのか、ということを考えてしまって、
それまでの自分は大抵、周りとの関係が表面的につらつらとスムーズに流れるようにばかり付き合い、言葉を発していたから、
それの違和感みたいなものがすごく感じられてしまい、
でも周りは私の内面で起こっているそんな変化なんて知る由もないから、
当然のように今まで通り「カオリー!♪」って声をかけてくれる家族や友人ばかりで、
なんかもうどう言葉を発していいのか、付き合って良いのか、わからなくなってしまった。
決して友達も誰も悪くない。
ただただ私が、親の言う通り、優等生で生きてきた(大学へは行かない!と決め込んで周りの反対を押し切ったことはあったものの、それまでほとんど学校でも周りとも、うまくやってきていた)その〝うまく〟と〝自分の本当〟との間をどう埋めたらいいのかがわからなくなってしまっただけだった。
それから数日間、私はそれまで小学生からほぼ休んだことのなかった学校を休み、
山に籠った(笑)
山に籠ったのは、少しでも佐渡ヶ島に近い環境に身を置いてもう少し自分自身について、将来について、そして生きることについて、考えたかったのと、
家にもいられなかったからだと思う。
山は実家の家の近くならどこにでもあったし、
すぐ近くの、まったく人がいない山を走ったり駆けまわったりしていた。 笑
「どうしよう」「つぎに友達に会った時、私はどんな顔をしてどんな言葉を紡ぎ出すのだろう」「いきなり本音で生き始めたら、いままでとのギャップで周りが引くんじゃないか」「どう生きるべきか…」
時々山から降りて、この答えはないのか、と
父親の書斎に潜り込んで哲学書を読み漁ったりもしてみた。
父は哲学科卒だったので(正確には安保闘争世代なので卒業証書は届かなかったらしいが)
なにやら人生の答えが書いてありそうな哲学の本だけは書斎に埋もれる程あって、なんかないか、答えはないか、とそれらしい本を勝手に開いては読んでみた。
ニーチェも読んでみた。
でも、どこにも答えはなかった。
つづく。