前回の続きですが、話がだいぶ飛びます。


ものがたり文化の会の先生が

時々

子どもたちに

身体表現のプロに触れさせてくれる機会を設けてくれていました。

朗読のプロの方々をよく東京から多治見に呼んで、指導を受けたり朗読公演をひらいたり、という機会がありましたが、

ある時、舞踏(踊り手)の方を呼んで踊りを見せてもらった事がありました。

その踊り手は 堀川さん という女性の方なのですが、

その時の踊りが、もうなんとも言えなくて、

全然、〝わからない〟のでした。


今までに見たどんな踊り(ダンス)とも違う、

リズムに合わせての律動とか、そう言うものがなくて、ただただ空間をいろんな、「変な」格好をして、移動しているだけの、全く何なのかわからない動きでした。

フワッとしてたりとか、どうぶつのようになったりとか、かと思うと
めちゃくちゃ反ってたりとか。

理解の範疇を超える時間と空間の中で、私は

何を見ているのだろう?と、わからなさすぎて
笑ってしまいました。


ひとはあまりにもわからないものを見ると、

笑うのだな、と思いました。

しかも、あはは!という笑いではなくて、

身体の奥の方から込み上げてくるような、

ウワッ、ンンッフフ…

みたいな笑いです。しかも止まらなくて、笑ってもいいのかもわからなくて、困る!

それに、見ている対象よりも、見ている自分って何なんだろう?と言う事が気になりだす。ということが起きました。

これもあまりに衝撃的な「初の」体験でした。

前回の記事で書いた、詩の朗読で身体に力が漲って、声が出るようになったのがたぶん小学2〜3年生の頃、

この踊りを見たのはたしか17歳くらいの時でした。

その間もずっとものがたり文化の会に通い続け、その間にもだんだんリードされる方からリードする存在になっていったりなどいろいろな事があったのですが、
(状況説明ばかりになっても仕方がないのでいったん省きます。また書きます)

私はすでにこの時、自分は何かしらの舞台芸術に関わる仕事で生きていく!と決めていたので、

それまでにバレエを習ったり、舞台をよく見に行ったり、俳優養成所に通って発声や演技の稽古を受けたりとなかなか忙しく自分を鍛錬してきたつもりでいました。

(それだけいろいろ習わせてもらえていた環境を、両親にほんとうに感謝しています)

でもまたこの舞踏、(または前衛舞踊など)といわれる踊りに出逢ってしまったことで、またもやわたしの人生の既成概念が大きくぶち壊され、新たな扉が開いてしまうこととなるのでした。

これ何?これは何?
どうしてこういう動きをしているの?
なんかすごい!知りたい!!
というたくさんの好奇心が、私をその先生が住んでいた新潟県へと誘うのでした。
進学校で、みんなが必死に大学受験のための補習に明け暮れる中、私はひとりローカル電車に乗って、ガタゴトガタゴト何時間もかけて行ったこともない新潟へ。

そこで、ただひたすら、「からだのためのボディワーク」を、教えてもらい、先生と一緒にさせてもらっていたのでした。


朗読の話も、この話も、自分の身体の歴史にたしかに起きた大きな出来事、として書いています。

それ(=身体に今本当に起こっていること、happenしていること)こそが、踊りの素、踊りの種

である

という事をこのあと、じっくりと時間をかけて学ぶのでした。



つづきます。