踊る ということは

間違いなく私の人生の一番大きなテーマのうちの一つ

なので、とても一度では書き切れることではない、と思っているけど

踊り(そう呼ぶのかどうかもわからないけれど)の出会いから、書いてみようと思います。

小さな頃、私はとても気が小さくて、家族以外の大人と、しゃべれませんでした。

渾身の思いで何か伝えることができたとしても、声が小さくて、「え?」って聞き返されだだけで、もう泣いてしまうほどに、心が弱かったんですね 笑

小学校に入ってからも、もともとトイレが近いのに、授業中に「トイレにいきたいです」のひとことが言えなくて、いつも排泄系のトラブルを抱えていました。

それがまた恥ずかしくて情けなくて、どんどん内側に籠るようになってしまって。人と喋れないのに口がきけるのが嫌で、ああもう私なんていっそ口がきけないように、生まれてこればよかったのに、なんてことを、本気で思っていました。

今では夫などに「気が小さかったのよ」と言っても全然信じてもらえないけど、本当にそうでした。

最近公園でよく見る小っさいチワワみたいに、プルプル震えて涙目でいつもいる、みたいな子でした。

それがある日、兄の入っていた「ものがたり文化の会」というところに連れられて行って、そこからがわたしの人生の一大転換がはじまるのでした。

ものがたり文化の会

というのは、詩人の谷川雁さんという人が設立して、当時全国にあった、宮沢賢治の童話を朗読、パントマイムや身体を使って子どもが表現をする会なのですが、

そこで私は、「身体表現」というものを知った(覚えた)のです。

しかも、普通の社会で一般的に使っている言葉とは全然違う文脈、というか、宮沢賢治の童話の中の言葉だから、

すごく抽象的で、でも、自然をいきもののように捉えている世界を、(よくわからない)まま
表現していい。

という世界に出会って、

自分の中で、なにかがすごく、変わったと思います。

その中でも、先にいる人たちに心を開いて、話せるようになるのにはかなり時間がかかったのは覚えているけど、

会は教室でもなく、団体でもなく、よく登山などでいわれる同じ目的地に一緒にいく同胞を指すす「パーティー」という呼び方をしていて、

年齢で分けられていなくて、年上のお兄さんやお姉さんがいつも優しく接してくれたし、


何より先生が、役割ややることを決めるのではなく、ものがたりの解釈も、どう表現したいかも、全て子どもたちからアイデアが出てくるまで、待ってくれる、というスタイルだったのです!

その中で、童話のナレーションやせりふを声に出してみたり、(小さくて覚えていないけど、きっと最初声が小さくて全然言えなかったのを、ずっとあたたかく待って応援してもらっていたに違いない)

登場人物や動物や山や風になってみたり、

そうやって 「なにか自分以外のものに、ナル」 時間を週に一回、過ごすようになって、


自分はみるみる、水を得た魚のように、イキイキとしはじめたのでした。


そんなある時、学校での朗読の授業で、自分が詩を朗読した時、身体の中から、ものすごいエネルギーが湧いてきたのを感じました。

たしか、「たけのこ」みたいな題の詩だったと思うのですが、

大地を割り裂いて地上に出てくるたけのこの、ものすごい強いエネルギーが自分の身体に乗り移って、脚から全身、手にまで力が漲って、今にも教科書を破り割いてしまいそうになるくらいの経験をしました。




つづく。