さて、ブログ始めたとして、どこから書き始める?というところだが、、、

最近特に思い出す光景がある。

私が16歳の頃、甲斐駒ヶ岳の麓で農業をしながら踊りをしていた田中ミン(さんずいに民)さんのところにいた。


ミンさんは踊りを、農作業(彼は農事と呼んでいた)のなかからうまれるものとして、毎日色んな畑の農作物の世話やリンゴの木の剪定、お茶畑、そして養鶏までしていた。

彼自身は舞踏家と呼ばれるのを嫌い、各方面に取材された時なども「私は農民です」などと名乗っていたが、言うまでもなくれっきとした踊り手で、しかも海外から多くの若者が彼のもとに学びに来ていた。

私は当時高校生で、山梨のミンさんの農場で開かれる合宿形式のワークショップに参加した際、15人ほどいた参加者のうち日本人は私ともう一人東京から来ていた少し年上の女性のみで、他は全員、アメリカやヨーロッパからの参加だった。

その、参加者たちと、踊りの稽古の時間以外は何をして過ごすかというと、農作業だった。

この時は冬で、リンゴの木の剪定をよくした。

リンゴの木のトチョウシという枝を切り、切った枝を一か所に集める作業。

甲斐駒ヶ岳を目前に眺めながら、黙々と作業が続いていく。

切った枝の断面からは、リンゴの果実の匂いがした。

その時私は、あ、リンゴの果実ってリンゴの木の匂いなんだな、と思った。

リンゴの木とリンゴの果実の匂いが、同じ。

このことに衝撃を受けた。

当たり前といえば当たり前なんだけど、リンゴの木という母体、全体そのものにこの匂いが巡っているから、リンゴの果実もあの匂いになるんだな、って、それを体感として得た事自体がなんだか自分にとっては、すごい体験だった。



それと、今だからわかる事なんだけど、
こういう体感のひとつひとつや、次のどの枝を切ろうかという身体の選択、それに季節によってどんどん成長して変わっていく作物に自分を合わせて追いついていったり、なんとかしようとしたり、失敗したり、そんなひとつひとつの動きからうまれるものが、踊りへと確実に繋がっている、と思っている。

こうした状況に身を置いていれば、踊りは、自ずとからだにやってくる、おきる、はじまる、ような気がする。

かきたてられるように。

文字通り、踊らされるように。