沖縄戦2 | 摩訶不思議な日々

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発達障害者兼オタクの雷電のブログです

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「初めての方へ」
を先に読む事をオススメします。

1945年3月26日にアメリカ軍は慶良間諸島に上陸し、4月1日には北飛行場(読谷飛行場)と中飛行場(嘉手納飛行場)を占領しましたが、日本軍の抵抗はほとんどありませんでした。

沖縄守備軍の主力は陸軍でしたからね。

「本土決戦のための時間稼ぎをしないといけないのだから、飛行場は占領されても構わない」
と沖縄守備軍は判断したんですよ、妥当な判断だと俺も思うんです。

日本軍とアメリカ軍との本格的な戦闘は4月7日頃から始まったんですよ。

ただ、この時は民間人の犠牲者はほとんど出なかったんです。

http://www.city.okinawa.okinawa.jp/m/heiwanohi/2524/2526
沖縄市のホームページによれば
「米軍の主力は、4月7日頃から沖縄守備軍の陣取っていた首里方面をめざして総攻撃開始。これに対し、日本軍は首里陣地本部を死守しようと反撃し、日米両軍は首里北方の浦添村前田、宜野湾村の嘉数高地を中心に一進一退の攻防戦を40日間も展開し…」
ですからね。

沖縄守備軍は首里の軍司令部に籠城していたんですよ、これなら民間人の犠牲者が出る心配はあまりありません。

そう、この状態のまま沖縄戦が終われば、沖縄戦の悲劇は起きなかったかもしれないんですね。

しかし、大本営からの一つの命令が沖縄戦の状況を変えてしまいました。

「占領された飛行場を奪還せよ」
というムチャクチャな命令を大本営が出してきたんです。

沖縄守備軍がアメリカ軍と一進一退の戦いができたのは、守備軍が壕を利用したゲリラ戦術で戦っていたからなんですよ。

飛行場みたいな開けた土地で戦ったら、守備軍には勝ち目はないんです。

しかし命令は命令なので、沖縄守備軍は飛行場を奪還しようとし、結果戦力の大半を失ってしまいました。

そして

「戦いに敗れて落ち武者状態になった守備軍の兵士達」
が、民間人が避難している壕に逃げ込んできたんです。

なぜか、この事はあまり語られないんですね。

理由は大体解りますが…

続きはまた
m(_ _)m