本日からDestinyのことを書いていきます。


検索ワードをみているとDestiny関連がとても多く、早く書かねばとずっと思っていました。中でも一番多いのがアスランとカガリのことで、読まれている記事もこの二人のものが常に上位です。ずっと前に書いた記事が今でも読まれてベスト5に入り続けていることに驚くと同時に、嬉しく思っています。


皆様、誠にありがとうございます!


この二人のことで多い検索ワードが「指輪」、「破局」、「別れた」、「その後」がダントツです。


二人は破局したというのはよく言われます。今でも。どうしてそう思うのかはいつもの通り、聞きません。「へぇー」、「そうなんだ」…で、おしまい(笑)


これまでさんざん書いていますが、僕は人と感想や意見を交わすことはしたくないんです。だから、今はもう人前でSEEDやDestinyを観ることはしなくなりました。ただし、友人のYくんは別です。彼とはよく話します。というより、彼の質問に答えることの方が多いですかね。


そのYくんも「二人は別れてしまったし…。応援してたのに…」と落ち込んでおり、僕はビックリでした。


どうしてそう思うのか不思議で不思議でしかたありません。


きっと指輪の意味と外した理由、アスランのセリフの意味が理解できなかったのだろうなぁと僕は勝手に受けとめています。


だから、あの指輪は実は良いアイテムではないと理解した方は少ないと思います。


ただ、あの指輪が良いアイテムとして受けとめられてしまったのには制作者側に落ち度があると僕は思っており、視聴者の方々を責めることはできませんし、してもいけません。


今はリマスター版が出ており、そこでしっかり修正されたのでわかりやすくなりましたが、テレビ放送されたテレビ版と言えばよいのでしょうか?それが過剰演出すぎたのです。あれはいくら何でもやり過ぎです。あそこまでやっておいて、「実は良いアイテムではなく、悪いアイテムなんです」何てされても視聴者の方々は信じがたいでしょう。


指輪を外しました、だから二人は破局を迎え、お別れしました何てそんな単純なお話しではないのですが、そう受けとめられてしまったのは、無理もないことです。


そこで当ブログは制作者側が二人の何を描きたかったのか、指輪の意味や外した理由もしっかりと解説したいと思っています。


本日は、制作者側が二人の何を描きたかったのかについて解説します。





ーその「好き」は本物か?幻か?ー


前作SEEDで二人のキスシーンを観た時、素敵だな、応援したいなと思った方は多いと思います。ですが、同時にこうも思わなかったでしょうか?


恋愛スピードが速すぎるって…。これ、見方によっては二人は良い感じになって、良い雰囲気になってキスしたとも見えます。


そこを制作者側は突いてきたのです。


「好き」という感情はあるでしょうが、果たしてその「好き」は本物か?それとも、雰囲気で盛り上がってしただけの幻か?(錯覚、思い違い、気の迷い)


制作者側が描きたかったものは、正にこれです。


本物か?幻か?という。


二人はお互いのことをまだまだよく知らないからです。


だから、まだわかりませんよということであり、その後が大事なんですということなのです。


何故、そこを描こうとしたのか。


好きになりました。キスしました。二人は幸せになりました。チャンチャン♪


それだけで幸せになれるような単純な話しや恋愛何て、現実にあるわけねぇだろ!

というのが制作者側の主張だからです。


アスランとカガリはお互いのことをまだまだよく知りません。


いくらお互いを好きになって良い感じになって付き合いを続けていっても、決して避けられないあることに直面するようになります。それは僕ら現実でもそうでしょう?


好きになった相手の違う一面、長所に短所、強さに弱さ、育ってきた環境、それ故の価値観の違いなど、最初は良いところばかり見て夢を見ていても、段々とそういう現実を嫌でも知るようになります。


特にこの二人の場合、8話まで観て頂くとわかることなのですが、置かれている立場や取り巻く状況とかを含めた現実はとても厳しいものです。


その厳しい現実を二人は行くわけですから、「好き」という感情も大事ですが、それ以前にまず大切なことは何ですか?と問いかけているのです。


全てをトータルして、揺らぐことのないものが「本物」であり、「愛情」なのですよ。それはキスや指輪のことではありませんよ、というのが制作者側の主張です。



7話までの二人は相当すれ違っています。また、育ってきた環境故のカガリにアスランが振り回されて疲れてしまう。大人であれば対応できますし、受けとめることができますが、まだアスランも子供で経験に乏しいため、難しい。カガリの育ってきた環境は周りが大人ばっかりで、同世代は全くいません。キラやアスランが出ているから勘違いしそうになりますが、本当に大人ばっかりです。


対するアスランは大人とも接しますが、周囲は同世代の人間ばかりです。


そういう環境の中で育ってきたカガリであり、アスランである。こういった現実に直面し、知っていく。それで気持ちが離れるようであれば、それは「本物」とは言えません。


結構そういうところは描かれていますので、観ていて色々と思った方は多いのではないでしょうか?



さて、(それ以降もですが)7話何てかなりヤバイものでした。カガリはアスランの心の傷を見てもいなかったし、わかってあげられていなかったわけですから。カガリではなく、シンがアスランの理解者になっていましたし、ここは割りと決定的だったでしょう。


で、次の8話でユウナに立場の無さを強調された上にカガリをまるで自分のものであるかのように言われてしまう。ここもカガリがアスランの気持ちに気付いていないのです。何もできない自分に一番イライラしているということに。そこに全く気付かないカガリが子供すぎるのです。

それから指輪が出てきます。

ここに至るまでの流れだけを見ても良いアイテムではないことは明らかです。例えば、これがキラとラクスだったらどうでしょう?こういうこと、すると思います?あの二人はまずしません。


キラとラクスには、決して揺らがない絶対的な信頼関係ができているからです。あの二人は厳しい現実の中をしっかりと歩んでいけるのです。


その二人に比べてアスランとカガリは非常に不安定です。とすると、アスランが指輪をはめた心情、動機が見えてきます。


「不安」という。(カガリがユウナに奪われるんじゃないか?とか、そういう意味ではありません)


それはそのままこの二人を表してもいます。


二人の恋愛は、この現実の中においてとても「不安なもの」であり、キラとラクスのような絶対的な信頼関係で結ばれていないのです。だって、「不安」なわけですから。


すれ違っている心、揺らいだ部分、信じたい気持ちを「指輪」という目に見えるものによって強引に結んだ、繋ぎ止めただけです。


これは「本物」とは言えません。


そして、この指輪はもう最低最悪です。最低最悪であっても許されるのはきっと「アスランだから」であり、現実にこれをやったら男性の皆さん、間違いなくフラれますよ。



次回は、その最低最悪な理由について解説します。