非常に狭い世界でのベスト5ですが、本日も書いて参ります。



人からよく言われるベスト5、SEED編。


第4位「カズイの存在意義が不明すぎる」


ヘリオポリス組の一人であるカズイくん。コイツ、何のためにいるの?、コイツ、一番いらなくね?、コイツがSEEDに出ている意味がわからない、降りたいならさっさと降りろよ、降りたいなら降りればいいだろなど、散々な言われよう。彼らからしたら、カズイくんの存在意義が不明すぎるのでしょう。残念ながらこういうことを言っているということは、「制作者側が視聴者に伝えたいこと」が全く伝わっていないということであり、また、それを何も考えようとしていないということでもあります。


カズイくんはナチュラル側の本音を口にする人だけでなく、視聴者に最も近いキャラクターと言えると思います。というのは、彼のような人は現実にもいっぱいいるからです。実際視聴者の皆さんも、カズイくんのような経験は一度はあるのではないでしょうか?また、他のヘリオポリス組のようなことをしてしまった経験もあるのではないでしょうか?


SEEDの描いているテーマの一つに、「友達って何ですか?」があると僕は思っています。視聴者に対して疑問を投げかけているわけですね。キラは「異質な存在」、カズイくんは「異論を言う者」として描かれ、問題提起されています。自分たちとは違う異質な存在であるキラは、ヘリオポリスが襲撃されるという出来事があってから関係が崩れ、やがて外れ者になっていきます。


では、自分たちとは違うことを言った場合は?みんなが「YES」と言っている中で、一人だけ「NO」と言う。その「違う」ということが攻撃対象になり、排除されるのか?と。これまで普通に仲が良かったのに、ある時突然外れ者になる。排除される。そうなるのはみんなの心の中に争いや諍いの根があるからではないですか?と。それは普段表面化しませんが、あることをキッカケに表面化する。それがヘリオポリス襲撃です。対、異質な存在。これが拡大していったのが、SEEDで描かれている戦争なのだと思います。キラやヘリオポリス組は、そのミニマムな根を描いていると言えます。


では、みていきましょう。本当はキラも交えて書くのがいいのですが、キラのことはまた別記事にします。今回はカズイくんに焦点を当てて書くことにします。




ー「NO」が言えないー


軍の重要機密を見てしまったキラとヘリオポリス組は拘束され、アークエンジェルに乗り込むことになってしまいました。ヘリオポリスが崩壊してしまったため、しばらくの間はも降りられません。


第4話で、アークエンジェルは戦闘になります。キラはブリッジに来るように呼ばれ、食堂にいるヘリオポリス組は、キラはどうするのか?と話しています。するとミリアリアがトールに、キラが戦っているのに、自分たちはここで何もしないでいていいのか?と疑問を口にします。それを受けてトールは、アークエンジェルのブリッジに入って手伝うことを決めます。そして、「お前らもやるよな?」、「俺らもやろうぜ!」と言わんばかりにギロリと、前に座っているサイとカズイに目を向けます。ミリアリアも縋るような目です。

隣のサイは頷きました。


さぁ、カズイくんは困りました。やりたくないからです。みんなはやる気になっていますが、カズイくんはやる気はなく、ブリッジに入って手伝う何てことはしたくないんです。が、トールはギロリとこちらを見ているし、サイもやると頷いてしまいました。やりたくないのは自分だけです。みんなが「やる」と言っている中で、カズイくんは「NO」と断ることが出来ず、頷いてしまいました。断る勇気がなく、みんなから責められたり、悪く言われて外れ者にされてしまうことが、怖かったのです。

こういう経験、皆さんもあるのではないですか?


そしてここで、制作者側から疑問が呈されます。


みんなが「やる」と言っていたら、その友達グループにいる以上、一緒に行動したり、同じことをやらなければいけないのですか?その中で「NO」、「僕はやりたくない」と異論を言ったら、その人は異分子(友達じゃない)となり、攻撃対象や排除の対象になるのですか?常に一緒に行動し、必ず同じことをやるのが「友達」なのですか?と。自分の思っていることが言えない、みんなが同じなわけではないのに「NO」が言えない関係は「友達」と言えるのですか?と。


カズイくんは別行動が取れません。一人だけ違うことをする、違うことを言うのが怖くてできません。「友達」というグループにいて、みんなと一緒にいて同じことをすることで安住を得ています。そこから外れる、外されるのが怖いのです。一人で行動するのが不安。だから、そこから出られません。みんなの顔色を伺って決める。それが、カズイくんの処世術なのです。



ーみんながやるから、自分もやるー


第12話で、カズイくんが待ちに待った時を迎えます。除隊許可証を渡され、ようやくアークエンジェルから降りられる時が来たのです。これでこんな所からサヨナラできる!と喜んだのも束の間。なんと、フレイが軍に志願してしまいます。ここにいる誰もが嘘に塗れたフレイの演技を見抜くことが出来ず、まんまと思惑通りにサイがあっさりと許可証を破り、軍に残ることを決めてしまいます。それに続いてトールが、トールが残るなら私もとミリアリアが許可証を破いて残ることを決めてしまいます。


カズイくんは、またしても困りました。誰よりも降りたがっていたのに、ええかっこしいの性格が災いし、除隊許可証を破いてしまうのです。(最後に真ん中から破いてみんなの注目を集めているところが、ええかっこしいですね)


カズイ「みんな残るってのに、俺だけじゃな」

本当は降りたい。でも、一人だけ降りることは出来ない。一人で行動何て出来ない。関係が崩れて悪く言われるのがイヤだ。カズイくんもみんなも、「みんながやるから」、「アイツがやるから」自分もやるとちゃんと考えもしないで安易に決めてしまいました。


自分のことを自分でちゃんと考えて決めず、「みんながやるから自分もやる」とその場の空気やノリ、人の顔色を伺って決めてしまうと、どういうことになるでしょうか?



ー後悔と人のせいの日々ー


アークエンジェルはその後、砂漠に降りることになってしまいます。そこでレジスタンスの協力を得ることになり、戦っていきます。


砂漠という過酷で慣れない環境に、予定が大きく変わってしまったこと。カズイはボヤキと共に後悔が口をついて出てきます。


カズイ「はぁ…。砂漠だなんてさ。あーあ…こんなことならあの時、残る何て言うんじゃなかったよ」

あの時残る何て言わなかったら、こんな所にいて危険な目に遭うこともなかったのに。何で自分がこんな目に…。


残るんじゃなかったという後悔。自分が砂漠だなんて所にいるのは、キラのせい。軍に残ったのはみんなが残る何て言ったからだという人のせい。


自分でちゃんと考えて決めず、「みんながやるのに自分だけ…」何て顔色を伺って決めてしまうから、こうやって後悔することになったり、人のせいにしてしまうのです。


その後もカズイくんの後悔と、人や状況のせいにする日々は続きます。


第23話で、カズイくんは食堂で航行ルートをずっと見ています。


カズイ「やっぱダメかなぁ…」


サイ「だって、目的地はアラスカだぜ?オーブへ寄る何て、大回りになるだけじゃないか」


カズイくんはオーブへ寄れないかと考えています。大回りであっても、もう少し南下してくれればオーブなのです。


ミリアリア「大体寄ってどうすんの?私たち、今は軍人よ?作戦行動中は除隊できないって言われたじゃない」


呆れ気味に言うミリアリアに、カズイくんはムキになって言い返します。


カズイ「でも、こんな予定じゃなかったじゃないか!アラスカへ降りるだけだって。だったらって、僕もさ…」

甘ちゃんなカズイくん(みんな甘いけど)は、オーブへ帰りたい、艦を降りたいと言い出しています。だから、何とかオーブに寄れないかと航行ルートばかり見ているのです。しかも、アラスカへ降りるだけだって言ったじゃないかと、またしても人のせいです。予定がずれたことに対しても。グチグチ言うカズイくんに、サイは引いてます。

この時、サイはきっとこう思ったことでしょう。そんなに嫌で降りたいなら、何で軍に残ったんだよ、と。



ー強まる思いー


戦争のこと何て何もわかっていなかったヘリオポリス組。そんな彼らに、ようやく戦争というものが突きつけられる時がきます。


トールとキラの死。(キラは生きてる)


自分たちの中で犠牲者が出ました。ここでようやく戦争を知り、「人は死ぬのだ」ということを認識します。思い知ったカズイくんは恐怖し、これまで以上に降りたい気持ちが強まっていきます。


次死ぬのは、自分かもしれない。


だから、口を開けば降りたいとばかり言います。


カズイ「しっかし、どうなっちゃってるんだろうね?この艦。もう着いたんだから、終わりだろ?俺たち、除隊できるんだろ?」

サイ「それも知らないよ!そんなことは艦長に聞いてよ!」


口を開けば降りる話しや除隊のことばかり。除隊し、降りられることを期待していますが、サイはもうさすがに苛立ちを隠せません。それもそのはず。カズイくんはサイのせいにしているからです。サイが残ると言ったのだから、その責任を取れよとばかりにこうして除隊のことを言ってくるので、そりゃサイも苛立ちます。


地球軍に捨て駒にされ、アークエンジェルは危機に陥ります。ここで初めてカズイくんは死にかけます。死の恐怖、戦争の恐怖を思い知るのです。死にそうになって、彼はいよいよ本気で降りたい気持ちが一層強くなります。また、自分は本当はどうしたかったのかを考えるようになります。


カズイ「ねぇ、これで…これからどうなるの?俺たち、もう軍人じゃないんだよね?」


地球軍の作戦を知ったアークエンジェルは、戦闘海域を放棄し、離脱しました。これは敵前逃亡に当たるため、地球軍に戻ったところで待っているのは軍法会議です。自らの戦い、地球軍に対する疑念。地球軍と合流しても裁かれて死ぬ。とても地球軍に戻る気にはなれず、アークエンジェルはオーブに身を寄せます。そのため、カズイは期待を込めてもう軍人じゃないんだよね?と尋ねてくるわけです。


カズイ「だって、軍から離れちゃったんでしょ?アークエンジェル。だったら…」


軍から離れたのだから、自分たちはもう軍人じゃない。なら、もうこれで自由の身だ。だから、降りられる。降りたい。降りたくてたまらない。カズイくんは、そっちの道に行きたいのです。


サイ「敵前逃亡は軍法では重罪。時効なし!」


軍から離れても、軍人ではなくなっても、その罪が消えることはありません。サイの言う通り、命令なき敵前逃亡は重罪で時効はないので、その罪はずっと付いてまわります。これで自由だ何て思っているカズイくんは甘ちゃんすぎます。自分で考えて覚悟を持って決めたわけではないので、こうなるのは当然と言えます。「みんながやるから、自分もやる」は悲劇的な選択です。


ちなみに、この罪が正式に消えるのはDestinyの第45話になります。アークエンジェルが正式にオーブ軍となる、あの回です。カガリが大西洋連邦と交渉した上で手続きを行ったことであると読み取れるので、その時点でアークエンジェル(マリューさんたち)の罪はチャラになったということになります。アークエンジェルが表立って動けるようにするため、彼らの罪を清算するため、カガリが尽力したわけですね。彼らの後ろ盾となるカガリの決意でもあります。



カズイ「俺さ、実はこれ持ってるんだけどさ…。前の除隊許可証…」

そう言って取り出したのは、あの時破いた除隊許可証でした。キレイに繋ぎ止めているところや、ずっと取ってあったところに、カズイくんの「後悔(本心)」が見て取れます。本当はあの時、降りたかったんだという。


カズイくんは、ずっとずっと降りたくてたまらないわけですね。降りる機会を常に窺って、その機会が来たら降りたいと。みんなで降りられる日を期待し、待ちわびています。


ここで、サイやミリアリアと同じように、視聴者の皆さんも「そこまでして降りたいのなら、何であの時残る何て言ったんだよ。降りればよかっただろ」と思ったのではないでしょうか?



ー降りられなかった理由ー


皆さんにお尋ねしましょう。


第4話や12話でカズイくんが「NO」と言ったら、他のみんなは快くそれを認めたと思いますか?



答えはNOです。



もし、あの時カズイくんが「NO」と断っていたら、他のみんなは何でだよ、みんなはやるのに、お前だけやらないのかよ、友達じゃねぇのかよ、ずるいぞとか言って認めなかったはずです。一人だけ別行動を取る、グループから抜けることは許さない、認めないというのは、キラがラクスを返しに行く時の執拗なサイの念押しを見ればわかります。また、12話でキラにお前だけ降りろと言ったシーンからもわかります。セリフでは送り出す言葉でも、心情は逆で、キラに残ってもらいたがっているのがわかるからです。例え認めたとしても、後でカズイくんを悪く言ったでしょう。「みんなやってんのに、アイツ一人だけやらねぇでよ。ずるいよな」みたいな。


こういうの、現実にありませんか?いっぱいあるでしょう。


みんなが「やる!」と言っている中で、一人だけが「NO」と言う。それはとても勇気の要ることです。何故なら、その瞬間外れ者とされて悪く言われてしまうからです。カズイくんは、それを恐れました。自分だけが外されて、悪く言われたくない。だから、「NO」が言えないのです。その勇気が彼にはなかったんですね。


異質な存在であるキラが孤立してしまっていたのですから、異論を言うカズイくんも外されて孤立していたであろうということは、容易に想像できます。「自分たちとは違うから」と。「違う」ということが攻撃対象や排除の対象となる。「友達」が"敵"になる瞬間は、みんなの心の中にあるもので、それが争いや諍いの根幹なのですよということを制作者側は訴えているのだと思いますね。




アークエンジェルの艦長であるマリューさんは、クルー全員に降りるか残るか、各自が自分で決めろと通達します。さぁ、降りられる最後のチャンスです。カズイくんは、ついに自分の意志と勇気で「降りる」ことを決めます。


が…やっぱり悪く言われることを恐れてしまいます。


サイ「そっか…。カズイ、降りるんだな」

咎められたと思ったのか、カズイくんバツが悪そうな感じです。


カズイ「だって、サイは降りないの?」


この期に及んで、カズイくんは一緒に行動してくれる人を求めてしまいます。


サイ「俺は残るよ。攻撃されんの、オーブなんだし。今、俺にも出来ることあるから。さっき、家にも電話して、そう言ってきた」


サイは、ちゃんと考えて自らの意志で決めました。もうフレイが残るからという安易な考えや、空気、ノリで決めていません。サイの決意が覆ることはないとわかったカズイくんは、今度はミリアリアに期待を抱きます。


カズイ「ミリィは降りるよね?女の子なんだし…」


サイは、カズイくんがどんな奴かもうわかっています。


サイ「カズイ…」


何か言われると思ったのか、カズイくんは身構えます。


カズイ「な、なんだよ…」


サイ「他の奴のこと、もう気にすんなよ。自分で決めたことなら、それでいいじゃんか。みんな違うんだから」

そう。みんな違って当たり前です。みんながみんな、同じになるわけがありません。人は「違う」ところばかり見てしまいます。が、誰もがみんな同じであることや、同じことが出来る必要があるでしょうか?自分はこれが出来る、お前はこれが出来る。みんなして同じことが出来必要はない。その境地に立ったキラとサイは、お互いの「違い」を認め合いました。


そして今度はサイとカズイくんが、「違い」を認め合う番です。


カズイ「けど…俺だけ降りるって言ったら、みんな臆病者とか、卑怯者とか、俺のこと思うんだろ!?」

これが、カズイくんが「NO」と言えない理由です。


みんなから悪く言われたくない。だから、人の顔色を伺ってしまうのです。そうして悪く言われないように立ち回っていくのです。


しつこいようですが、こういうの現実にもいっぱいあります。経験ある方、いっぱいいるのではないでしょうか?


それは、「友達」何ですか?


「友達」だったらみんなで同じことをして、同じことをやって、常に一緒にいる。それが「友達」なのですか?「同じ」でなければ「友達」ではないのですか?


「友達」って何ですか?


カズイ「どうせそうだろうけどさ。でも、だって俺、出来ること何かないよ!戦うなんて!そんなことは出来る奴がやってくれよ!」


臆病者で気が弱いカズイくんに、戦争はできません。ましてや、このあと更なる激戦になっていく以上、カズイくんがいたら士気に関わります。残念ながら、ここにはカズイくんに出来ることはありません。怖い。怖いから戦い何て出来ない。たったそれだけのことなのです。同じであることを求めたり、強要することの方が間違っています。


サイ「わかってる。向いてないだけだよ、お前には。戦争なんてさ。お前、優しいから。平和になったら、また会おうな。それまで、生きてろよ」

「友達」だというのなら、違いを認めて相手がこうしたいと望むことを尊重してあげる、背中を押してあげる、応援してあげるものです。


カズイくんが「降りたい」と言った。自分で決めた。なら、それでいいじゃんか。こういうことが言える人が増えるといいですよね。


カズイ「サイ…俺、やっぱり…」


どうしても引け目を感じてしまう。一人だけ違う行動が取れない。みんなから悪く言われてしまうから。だから、自分と同じ行動を取ってくれる人を求めてしまう。欲しい。安住を得たい。でも、それで決めてしまうとどういうことになるでしょうか?


サイ「だからやめとけって、そういうの。また後悔するぞ」


自分で決めたのなら、その道に行けばいい。やる、やらない。行く、行かない。それは自分で決めること。例えその道がどんなに厳しくとも、自分で決めたのなら最後まで貫け。そして、その行動に責任を持て。人の顔色を伺って決めたり、場の空気やノリで決めると悲劇的でしかなく、後悔したり、人や状況のせいにしてしまう。…ということを、キラやカズイくんを通して制作者側は視聴者に対して描いていますね。


カズイくんと重なるところはいっぱいあると思います。現実にいっぱいいますから。そして、同じことを求めてしまうことをやってしまう人も多いと思います。みんなそれぞれ違います。「みんなやるんだから、お前もやれよ」と強要するのではなく、外れ者にして攻撃するのでもなく、「自分で決めたことなら、それでいいじゃんか」と言える人が素敵ですね。(サイ、成長したよね)



カズイくんを見て、降りたかったのなら、降りればよかっただろ、何で残ったんだよと思った方。現実にこういう人に直面したら、やっぱりそう思うのでしょうか?


相手は自分に対してNOと言える勇気がなかった、あなたから悪く言われたくなかった、外れ者にされたくなかったと思われてしまっているかもしれませんよ。


NOが言えない、同じことを求める関係は、果たして「友達」なのでしょうか?異論を言ったら、あいつはもう友達じゃないとして排除するのでしょうか?


SEEDでは、それを否定しています。僕も否定します。そんなのは「友達」じゃないですから。



SEEDは友達関係から構図を広げて戦争と照らし合わせていくその描写や、構成が見事すぎますね。カズイくんのような人は現実に多くいますし、その点から視聴者に近いキャラクターと言えると思います。彼は十分存在意義があります。


以上、人からよく言われるベスト5の第4位の発表でした。次回は、第3位の発表です。