初めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。ヒビキです。


以前も同じようにガンダムSEEDとDestinyの徹底解説、語り、考察を書いていました。


しかし、こういうブログを書いていて読者様が増えてくると面倒なことも多く、ウンザリしていました。そこに自身の大ケガも重なり、一度やめようと思い、やめました。


せっかくあれだけ真剣に、一生懸命書いてきたブログを消すのは寂しく、嫌でしたが、「一度離れたい」という気持ちが上回ってしまったからというのが正直な理由です。


いつも読んでくださっていた読者様には、心から申し訳なかったです。


心機一転、また始めていくので、皆様どうぞ宜しくお願いします。





さて、最初は何を書けばいいかな。


ガンダムSEEDについて、少し書きましょう。


ガンダムSEEDを観ていつも思う、疑問を抱くのは、「友達ってなんだろう?」です。


「友達」って言ってる割には非常に薄っぺらいのです。


壁を作ったり、線引きをしたり、本音で話すこともしないし、信用もしてない。自分たちのことばっかりで頼りきり、苦しめる。傷つける。


君ら、本当に友達か?と思わざるを得ません。ガンダムSEEDは身近なことを取り上げて描かれているため、入っていきやすかったですね。誰しもが一度は経験したことがあるところもあるでしょうし。



「友達」って何だろうな?


SEEDを観ていると、それについて真剣に考えてしまいますね。今後はそのシーンを取り上げて書いていきたいですね。


一見美しい友情に見えるけれど、実は違う。セリフにしても、言ってることと裏の感情が働いてる場合もある。口ではそう言ってるけど、心の中は違うっていう。そこに気付けるかどうかで面白さや受ける印象、解釈は変わってくると思います。


僕はガンダムSEEDのそういうところがとても好きですね。


それと、「自分と違う者」に対する差別や偏見に真剣に訴えている作品だなとも思いました。


友達の間にある差別。これが制作者側が視聴者に強く訴えたかったことだと僕は思っています。


その中心にいるのが、主人公のキラです。


自分たちの友達グループの中に、「一人だけ自分たちと違う者がいる」、「異種族がいる」。そうすることで、差別や偏見が見えてくる。出てくる。身近に感じられるようになっている。


アイツは一人だけ違う。アイツは出来るから出来るのは当たり前。


そういう誤解、偏見、差別がキラとヘリオポリス組を隔てているわけです。


僕は観ていて嫌な気持ちになりましたね。


そういうところも取り上げて、書いていきたいです。


本日は最初なので、これくらいにしておきます。


※当ブログは基本長文(本当に長い)なので、文章や本を読む習慣がない、嫌い、苦手な方は苦痛でしかないかもしれません。



次回は僕の好きなシーンを取り上げて、語りまくります。どんな感じで語るのかっていうのを知って頂くためにも。


宜しくお願いします。