日曜日、にーにが通った幼稚園の解体が決まり


幼稚園園舎のお別れ会がありました。


 
うーたんのハンモック

津波が来なければ、数日後にここで にーにが卒園式をして


春には、ここにオマが通う予定でした。



私も幼い頃、この幼稚園に通いました。


園舎は、こんな立派じゃなく すぐ隣の場所に古い


平屋建ての園舎でした。 新しい園舎になっても、


私の頃からいる先生が二人もいて、会えば「ゆーちゃん♪」


ってあの頃のように話しかけてくれました。


私は、そんなやさしい先生たちがいるこの幼稚園で


学生の頃 実習でもお世話になっていて、


いろんな思い出が詰まった場所でした。



うーたんのハンモック

隣は、瓦礫の山。   この場所を通るたびに


胸が痛むけれど・・・・、ここで毎日過ごしていた


にーには、何を思うんだろうね。   いつも、複雑な


気持ちでみていた場所だから、解体される


と聞いて  悲しくなったけど  どこかで安心


もしたような気もします。


震災後、先生たちが 園舎に入ってみても良いよ


と言ってくれてたけど、ずっと行けずにいましたが


お別れなので、初めてはいってみました。


2階の部屋だった にーにの保育室には ロッカー


に名前がのこされたまま。  きれいに片つけられてたけど


津波の線は、くっきりと残されていました。



2階の床から140センチくらいは浸水あとがありました。


あと1時間早かったら・・・・・考えただけで泣きたくなります。


  でも、当時園には 預かり保育をしていた子どもたちと


(お迎えを待っていたんだよね・・・・)先生方合わせて24人が


園舎に取り残されて、二階の屋根に登って難を逃れたそうです。


私が通ってた頃の、平屋建ての園舎だったら、守りきれなかったでしょう。


でも、りっぱなこの園舎が 24人の命を守ってくれたんですよね。



あの寒い中、屋根に登って・・・・・。本当に壮絶な体験だったはず。



もう、この場所には 園舎を建てることはできないので またいつか


今までよりもっとずっとずっと 素敵な園舎を建てて 復活してほしいな。



ちなみに、オマは姉妹園の園舎の敷地内に建てられた 


仮設園舎・・・・プレハブよ・・・で、園生活を送っています。


もちろん、園児数も減って しまっているし、このままじゃ


園の存続問題にも発展しちゃう。


行事だって、思うようにできないし 子どもたちも


先生方もかわいそう。


きっと、オマが在園中は このままになちゃうんだろうけど、


これからの、ステップアップのための大きな一歩として


今回の解体を受け止めていこうと思ってます。



 ちなみに、園舎横の瓦礫の山


まだまだ 他の場所にたーくさんあるし、まだ、解体待ちの


建物はたくさんあるから なかなか減らないんだろうね。


子どもたちが 未来に希望を持てるような町の姿に


1日でも早く 進化してほしいなあと思います。




栗駒山への挑戦!!
じーじが何度も登り、パパも子どもの頃に何度も登った山。 あの景色を見せたいんだ!!と はりきっていたじーじ。

しかし、当日は曇り…。山の天気は変わりやすいうえに、私って雨女。 嫌な予感を拭えぬまま、車に乗っていると 山に近づくにつれて、雨が降りだし…。


雨が降るのは、ママのせいだ!!なんてにーにに言われ さすがに返す言葉もないなーと思っていると、濃い霧に包まれ


突然、


青空!!



飛行機に乗ってるみたいに、目線の下に雲海があって、一気にテンションがあがりました。

正直、山登りの魅力は よくわかりませんでした。 歩くのは好きだし 自然も好き。 でも、なんで
山に登るんだろー!?って 思ってる部分もあったのですが、 ぶっとんでいきました。



景色が違う。 空が近い。 キレイ。
森林限界を越えた瞬間に、その魅力にとりつかれちゃあおました。

確かに、登らなきゃわからない 爽快感と 達成感。
疲れるのに、また登りたくなるんだね。

にーにが 軽快に頂上まで歩き、大人より先に、下山できたのも納得いくけれど
四歳のオマまで、自力で登頂して さいごまで一人で下山できたのには、驚かされました。
私ですら、下山中は足元がフラついて二回ほど転んだし…。

子どもの
体力半端ない。その後、温水プールで泳ぎまくりですガクリ
もちろん、オマが泳げば私も…。

でも、子どもたちには、凄く素敵な体験だったと思います。







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昨日、二十年ぶりに門脇中学校テニス部の同級会がありました。


20年も連絡を取っていない人たちと連絡をとるだけでも、大変でした。


   どちらかといえば、のっかり派の私。幹事なんてやったこともなかった。


でも、震災で同じテニス部だった友達が 津波の犠牲になりました。


震災から半年後くらいに 知ってから・・・・  心の中のもやもやがず~っと


消えませんでした。  テニス部で唯一 連絡を取り合っていた友達が、彼女と生前


何度か会っていて  そんな話を聞かされながら  いつかそのうち 会える


だろうと、勝手に思っていたんです。    そしたら、こんなことになった。


いつか・・・そのうち・・・なんて絶対じゃない。


残念なことに、彼女は 2人のお子さん 旦那さん 同居していた彼女の


両親。全員で亡くなっていました。 まだ、見つかってない家族もいるそうです。


お葬式に参列するわけでもなく、  そんな情報もなく  ただただ心の中で


手を合わせるだけ・・・。   これでいいのかな~。  と思ったときに、


友達に相談して  亡くなった彼女を偲ぶ会  テニス部女子会ができたら、


天国の彼女も  喜んでくれるかな・・・・。思いが届くかな・・・。ということではじまりました。



自己満足だよな・・・・と始めは、20年も連絡を取っていない部員に声を掛ける


のにも、不安でした。


連絡先知らない・・。実家にいけば、誰か家族が住んでいて 手紙を渡してもらえば


伝わるかな。。。と思っていってみても、震災で家すらないひと。


家はあるけど、津波の影響で住んでない人もいました。  それでも、一人二人と


家族の方のご協力をいただいて、なんとか連絡をとることができました。



5人集まればいいかな・・・といっていたら、結局13人が参加してくれました!!
うーたんのハンモック

帰り際の写真なんで、写ってない人もいるし  テニス部員以外の人


もいるんだけど、みんな門中生!!  真ん中が彼女の写真。


みんなそれぞれに、実家、自宅がなくなったり  家族を亡くしたひともいる。


遺体安置所を探し回って 体調崩した人もいる。みんな、それぞれに


悲しい思い、つらい思いをしたんだよね。   


いつかまた・・・そのうち・・・・なんて絶対ないって思い知らされた人


ばかり。  みんな、喜んで集まってくれました。  


あの頃みたいに、たくさん笑ってたくさん泣いて、み~んなが


自然と癒された会になりました。



  ちなみに、みんなで集まったこのお店も、中学校の同級生夫婦が


震災から  ものすごいパワーでたちあがって 新しくはじめた


お店です。  


こんな、素敵な出会いもありました。



    人とつながるって大事なことですね。


まだ、まだ  、   まだまだなの。    でも


みんな それぞれに、一生懸命頑張ってる。


パワーもらってきたから、私もがんばるぞ~!!