2025.5.16~18
カズベキでの3日間
《その1日目》
5月15日はトビリシのゲストハウスでゆっくり休養を取り、翌16日から3泊の予定でこの旅の第二のハイライト、カズベキに出掛けました。
カズベキは、別名ステパンツミンダとも呼ばれます。
もともとはジョージア正教由来の「ステパンツミンダ」 (“聖ステファン”の意)という名称だったのですが、ソ連時代に「カズベキ」と改名され、2006年に再び「ステパンツミンダ」に戻されたという経緯にあります。
重い荷物はゲストハウスに置かせて貰い、必要最低限の物だけ持って出発しました。
トビリシ中央駅前はこんな感じ。まだまだ整備・再開発が必要です。
今日は、中央駅に隣接する地下鉄に初めて乗ります。
鉄道の駅名は「トビリシ中央駅(セントラルス・テーション)」というのに対し、地下鉄の駅名は「ステーション・スクエア」と云います。「大阪」と「梅田」みたいなものでしょう。
乗車賃は何処まで乗っても一律たったの1GEL(55円)。
お金をチャージしたメトロカードを改札機に翳して改札口を抜け、大江戸線もビックリの長~~~いエスカレーターでホームに降ります。
ホームには、日本のような駅名表示のプレートが全くありません。
唯一あるのが、線路の向こう側の壁の上に1ヶ所、今いる駅の名前と進行方向の駅名が小さく表示された帯が掲示されているだけ。
初めて地下鉄に乗る外国人が「今どこの駅に着いたのかな?」と列車の窓から駅を見ても全く分からない訳で、不便極まりないことになります。
こういう所がジョージアらしいって言えば、らしいんですけどね。
幸い、車内放送はジョージア語と英語で流れますので、注意して聞いていれば大丈夫なんですが、油断して聞き逃すと困ったことになります。
それでも、地下鉄は頻繁にやってきますし、乗り過ごしたとしても反対側のホームで待って戻ればいいので、慌てることはありません。(どの駅もホームを挟んで両側に上りと下りの線路があるシンプルな構造です。しかも乗車後1時間は乗り継ぎ自由です。)
地下鉄の車両は落書きなどもなくキレイです。↓
地下鉄の車内はこんな感じ。↓ つり革と車内広告が無い分、日本の地下鉄よりスッキリしています。 運転が荒いのか、レールの敷設に問題があるのか、とにかく酷く揺れます。 日本の地下鉄の運転は丁寧だなーと改めて感じました。
ステーション・スクエアから3駅先の「ディドベ」という駅で降ります。
カズベキ行きのマルシュルートカがこの駅のバスステーションから出るのです。
ディドベ駅を降り、地下道を歩きます。↓ 地下道には商店が犇めき合っています。
地下道にこんなTシャツの露店がありました。探していた良いデザインのTシャツがあったので、衝動買いしちゃいました。 (30GEL=1650円)
そのTシャツがこれ。どお?似合うでしょ?
地下道を出たところ。↓
ディドベの駅前には、カオス状態のマーケットが広がっており、その先にバスステーションがあります。バスステーションもカオスですが・・・。
駅前にはこんな市場が迷路のように広がっています。
お!私の大好きな鮭のハラスを売っているじゃありませんか! 思わず衝動買い。
衛生状態が気になりましたが、焼いちゃえば大丈夫だろうと・・・。
このオジサンから買いました。↓ (買ったのはもちろん別の日ですけど)
バスステーションとは名ばかりの、マルシュルートカの「溜り場」があります。↓
マルシュルートカは何となく大体の見当で行先別に止まる場所が決まっています。
今日のミニバスは行き先がローマ字で書いてあるので助かった!↓
隣のミニバスの行先表示はジョージア文字なのでチンプンカンプン。
マルシュルートカの車内です。結構狭い座席にギュウギュウ詰めにされます。
その状態で約3時間。結構きついものがあります。
途中の休憩地点の景色です。 正面の建物はトイレ。
綺麗な雪解け水が流れていました。
途中、白い雪を頂いた山々に囲まれた美しいリゾート地を通過します。
ここが「グダウリ」という村です。
今まさに沢山のホテルが建築中で、近い将来スキー客で賑わうニセコ状態になってしまうのではないかと心配です。
そしてブームが去った後、苗場や湯沢のようなことにならなければいいのですが・・・
やがてマルシュルートカはこんなモニュメントのある場所を通過します。↓
これが「ロシア・グルジア友好のモニュメント」です。
今回私は立ち寄りませんでしたが、写真を拝借するとこんな感じだそう。↓
更に走ること約30分。漸くカズベキの町に着きました。
周囲を高い山に囲まれた美しい町です。↓
町の中央に Alexander Kazbegi の像が建っています。
アレクサンドレ・カズベギはジョージアの封建領主の曾孫として1848年にステパンツミンダに生まれる。祖父にジョージアの貴族・軍人であるガブリエル・カズベギを持つ。カズベギはトビリシ、サンクトペテルブルク、モスクワで学び、帰郷。地元の人々の生活を経験するために羊飼いとなる。その後ジャーナリストとして活動し、小説家・劇作家に転じた。晩年は精神病に苦しみ、トビリシで死去。死後、棺は故郷カズベギ(現在のステパンツミンダ)に移された。現在、棺はステパンツミンダのステパンツミンダ歴史博物館で保管されている。(以上、ウィキペディアの受け売りでした。)
町の中心部には、ライオンの泉とその横に第二次世界大戦の戦没者慰霊碑が建っていました。 こんなに美しい村からも若者が徴兵され、戦争の犠牲となったのです。
素朴でこぢんまりとした良い町です。 景色の他に何もありませんが・・・。
今日の私の宿は、町の中心部から5分程高台に上ったところにありました。
その名も「Four Season In Kazbegi」 響きの良いネーミングです。
私の部屋があるのは奥に見える赤い屋根の建物の最上階です。
私の部屋は3階にあって、眺めの良いテラス席があります。
この椅子に座って、ボーッと景色を眺めるのが至福の時間でした。
室内はこんな感じ。 ツインベッドがくっ付けて置かれていました。↓
シャワーにはカーテンが付けてあって◎!
反対側のドアの外にもベランダがあって、雄大な山の景色が迫っていました。
部屋の前後両側にベランダがあって、眺めは最高!
この部屋は、おそらくこの地域で最も眺めが良い部屋に違いないと思いました。
階下には共同キッチンがあって、自由に調理が出来ます。
夜になると、山の上の三位一体教会がライトアップされ、一層幻想的になりました。
ここにゆっくり3泊します。 この宿を選んでよかったと思いました。
明日以降の天気が良くなることを願いつつ眠りに就きました。