2023.10.5

 

住むには最適? カールスルーエ

 

 

ストラスブールを後にして、約1時間半でカールスルーエに着きました。

 

途中、珍しく検札が来ました。二人掛かりでしっかり検札していました。

どうも後ろの方に座っていた連中が無賃乗車だったようで、長いこと揉めていて、ついには何処から来たのか二人のポリスまで加わって、代表者一人が別の車両に連行されて行きました。罰金の支払いを拒んだためのようです。

海外の列車の駅には改札というものがなく、道を歩いているかのような感覚でホームに入り、ヒョイッと列車に乗ることが出来ちゃうので、そういう輩も中には居るのでしょう。私などは、折角切符を買っているんだから検札に来てくれないと拍子抜けしてしまいます。私は一度、検札係にGoogle翻訳のドイツ語を見せて「無賃乗車の検挙率は何%くらいなの?」って聞いたことがあります。検札係は小さな声で何やら喋って行ってしまいました。 ああ、英語で質問すればよかったのか…。

 

 

カールスルーエという街について観光書で調べると、概略次のようなうな説明がありました。

 

1715 年、辺境伯のカール 3 世ヴィルヘルムは、当時居城のあったドゥルラハよりも広い土地が必要と考えてカールスルーエに居城を移し、そこから放射状に伸びる街を設計しました。その独特の形から "扇都市" とも呼ばれるカールスルーエには、ドイツ連邦の重要な裁判所があり、公務員も大勢暮らしています。カールスルーエ城は第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、後に再建され、現在はバーデン州立博物館になっています。

 

また、別の案内書には次のようにありました。

 

この都市は、常にドイツの他の都市よりも自由度が高く、芸術と文化が栄え、活力に満ちた雰囲気を作り出しています。カールスルーエの壮大な宮殿から分岐したこの都市には旧市街がなく、通常、ゲストは戸惑います。カールスルーエは 1715 年に設立された若い都市であるため、ほとんどのドイツの都市に見られるような中世の都市構造が欠けています。この都市は、バーデン辺境伯カール ヴィルヘルムの精神の産物であり、その中心に宮殿があり、外側に放射状に伸びる 32 本の通りがあります。これにより、壁のない開かれた都市になり、最初から寛容でリベラルになりました。かつて軍需工場だった市の中心部の場所でさえ、絶え間なく変化する時間のリズムの象徴と見なすことができます。

 

 

要するに、カールスルーエの街は計画的に作られた街で、中心に宮殿があって、その周辺に、広い公園や道路、大きな建物が放射状に整えられている訳で、まさしく巨大な田園調布といった感じ(?)。

文化もあるし、緑も多く、街全体がゆったりしてるのできっと住むには良いところなんじゃないかと思うのですが、短期滞在の観光客からすると歴史的見所が少なくて淡白な都市のイメージを受けました。

 

そんなカールスルーエの街を散策して拾った画像を一挙公開します。

 

カールスルーエ駅構内です

 

カールスルーエの駅舎です

駅舎は曇っていたためもありますが、地味で重苦しい感じでした。

 

荷物を置きに今日の宿(bKarlsruhe.de)に向かいました。

駅から12分くらい歩きました。

建物の外観はこんな感じ。(朝撮り忘れて夜に撮ったものです)

 

レセプションは2階に

 

2階にはレセプションと、リビングスペースと客室が幾つかありました。

2階の共用バスルームです。誰も使った形跡がなく綺麗な感じでした。

 

チェックインをする際に、「まだ先客がチェックアウトしていないのでちょっと待ってね」と言われ、1時間ほどリビングスペースでPC作業をしながら待ちました。

やがて「ベッドの準備が出来ました。」と言って、係の人が3階の部屋に案内してくれ、「このベッドを使ってください。」と言って、新しいリネンで整えられたベッドを指さしました。

 

窓際のベッドです

 

部屋は12畳くらいの広さで、ベッドが4台平置きされたドミトリーで、ベッドの間に仕切りは何もありません。プライバシーを保つものは何もないのです。

ま、アイマスクと耳栓をして寝てしまえば、誰に寝顔を見られようと知ったことじゃないので、私はこんなのヘッチャラです。

 

重たいリュックと不用品をベッドの横に置き、市内観光に出かけました。

 

州立自然史博物館 (Staatliches Museum für Naturkunde Karlsruhe)自然史博物館です

 

フリードリヒスプラッツの噴水(Friedrichsplatz)

 

市の大聖堂(Stadtkirche)です

 

市庁舎(Rathaus)です

 

ルートヴィヒスブルンネンの像マルクト広場

 

こんなに小さな街なのに、生意気にも地下鉄があるようです。

エレベータで降りると、立派な駅がありました。

 

カールスルーエ宮殿Schlossです

正面に立つのは、カール・フリ-ドリッヒ(Carl-Friedrich)の像です。

 

宮殿の手前にあるシュロスプラッツ(Schlossplatz)通りです。

王宮を囲むように湾曲しています。

 

カールスルーエ宮殿です

これを建てたのは、カール3世ヴィルヘルムです。

宮殿に向かって左端から撮影

 

宮殿の裏手に回ってみました

この建物は、歴史博物館の他に裁判所や政府機関のオフィスとしても利用されているようでした。

 

宮殿の裏手に広がる公園

 

公園には池もありました

 

 

 

連邦憲法裁判所です

 

州立美術館です

 

珍しく日本料理屋がありました

 

おー!日本らしいぞ!

 

ラーメンと焼き鳥がメインらしい

 

珍しいのでメニューを全て撮影してみました。

私は味噌ラーメンを注文しました。

味はどうかな?

 

スープを一口飲んで「ん、ぬるい!」。熱々じゃなきゃダメでしょ!

やり直させようかとも思ったけど、厨房で唾でも入れられたら敵わないと思って我慢しました。
味噌の味は濃い割にはコクが無く、チャーシューもトロトロという訳には行きませんでした。

所詮「ナ~ンちゃってラーメン」でしかなく、日本の厳しい競争に鎬を削って味を極めたラーメン屋さんのものとは比べ物になりませんでした。

 

それでもこの店、次から次へと客が来て、結構繁盛していました。

こんなラーメンが旨いと思っているカールスル-エの人たちが可哀そうになりました。

 

店長らしき男性と写真を取って、No good!ってやったらガッカリした顔をしていました。

 

可愛そうなので撮り直し


同じ通りの先にもナンチャッテ日本料理店があり、ラーメンと寿司を売り物にしていました。 

この店も繁盛していました 

ベトナム料理との二刀流なんですけどね。

 

カールスルーエの人たちは日本食がお好きなようです。

でも、日本食は、せめて日本人の調理師が包丁を握っている店で食べて貰いたいものです。

 

気を付けて歩いていると他にも同じような店が幾つかありました。

一風変わった店があったので、何料理か訊いたところ、シリア料理店でした。

 

 

カール通り(Karlstraße)

 

マルクト広場の大聖堂

 

ピラミッドのモニュメント

この下に王家(カール三世ヴィルヘルム)の墓があるそうです。

 

目ぼしい建物は銀行が使用

 

これは市庁舎

 

市の大聖堂

 

この建物は警察署が使用

 

オベリスク
オベリスクにはチャールズ大公の像が彫られています。向かいの建物は辺境伯の宮殿です。

 

正面は何気ない建物ですが・・・

ここはエットリンガー・トール(Ettlinger Tor)というショッピングモールです。

中は人が一杯! 活気があります

 

ファッションショーをやってました

 

反対側の入り口です 少し派手

 

暗くなったけど州立劇場です

 

大通りの緑地帯には噴水が

 

コンサートホールです

 

こうして市内散策を終え、宿に戻りました。

 

直ぐには部屋に行かず、リビングスペースで暫くPCをやってから、11時頃に自分の部屋に行くと、私のベッドにアラブ系の男が寝ているではありませんか!
熟睡しているようでしたが、構わず起こして「ここは俺のベッドだ。」というと、男は「オレは昨日からここに泊まっていて、このベッドを使っているんだ。帰ってきたら新しいリネンに変わっていたが、俺のベッドなので構わず寝ていたんだ!」と言います。

私は困って、宿のスタッフに電話をして事情を説明したところ、同僚を直ぐにそっちに行かせるということでした。

何処にいたのか、間もなくオバサンがやってきて、「もう一つ空いているベッドのリネンを新しく取り換えるから、そちらに寝てください。」と言います。

 

その部屋にはアラブ系の男たちが3人寝ていて、空気が籠ってムンムンしています。私はそんな部屋で寝るのはゴメンだと思い、荷物を全て持ってリビングスペースに戻り、PC作業を続けました。眠くなったらソファーで寝れば良いやと思っていたのですが、結局朝まで一睡もせずに徹夜してしまいました。

同じフロアにある綺麗なバスルームでシャワーを浴びられたのがせめてもの救いでした。

 

宿のスタッフが、いい加減にベッドを指定したことがトラブルの原因だったと思います。 今までの宿の中で最悪の経験でした。

レセプションのスタッフは常駐していないのですが、出てきたら『Du bist extrem Schlampig!』(あんたは極めていい加減だ!)と言ってやろうと待ち構えていたのですが、列車の時刻までにスタッフが現れなかったので言わず仕舞いでした。

 

そのまま寝不足感を引き摺りながら、マインツへ向けて移動しました。