2023.10.4
懐かしいストラスブール
バーゼルから1時間18分の列車旅でストラスブールに入りました。
一時的におフランスです。
ストラスブールに来るのは3回目。一度目は友人とドライブ旅行で。二度目はお絵描きの仲間とスケッチ旅行できました。とても懐かしい感じがします。
従ってこの街の地理に関しては大体見当がつきます。
ストラスブールの駅舎はこのようなドーム型をしています。
実はこのドーム、元の駅舎をそのまま残して、上からガラスで蔽ったものです。
ですから、ドームの中に入ると昔の駅舎の姿が見られます。
ストラスブールに着いたら、いつものように駅から真っ直ぐ今日の宿に向かいました。今日の宿は、The People-Strasbourg 。 早い話がユースホステルです。
私の部屋は、男女共用の8人部屋(ドミトリー)です。(あ!部屋の写真撮り忘れた!)
今思い出してみると、部屋はメゾネットタイプになっていて、下のフロアに二段ベッドが二組(4人)、上のフロアに二段ベッドが二組(4人)、計8人部屋となっていました。
私のベッドは、上のフロアのしかも上段。 少しは年寄りのことも考えて貰いたいものだと思いました。(なら、こんな処に泊まるな!って言われそう。)
宿に荷物を置いて、早速街中の散策に出かけました。
先ずは、近くのセントポール教会の遠景を写真に。
次にもう一か所お気に入りの場所へ。
お気に入りのポイントが昔のままだったことに安心して、更に中心部の旧市街に向かいました。
Google Map の地図でもわかる通り、旧市街はイル川の中州にあります。
この中州のエリアが「大きな島」を意味する グランド・イル (Grande-île)と呼ばれ世界遺産に登録されています。個々の建築物ではなく街全体として登録された初めてのケースだったようです。
今回街を歩いていて、若者の数が多いことに気が付きました。観光客ではなく地元の若者達です。近くにストラスブール大学があるせいでしょうか? これまで見てきた都市とはその点が全く異なる雰囲気です。
丁度下校時刻と重なったのでしょう。若者たちが沢山出てきていました。
下の写真は、学生食堂に並ぶ学生達です。大学生と思われます。
ストラスブール大聖堂です。 大きすぎて全体像を収めるのに苦労します。
正式名称はノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂(Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg)といいます。
ヴォージュ産の砂岩を建材として使っているため、独特なピンクがかった赤茶色をしています。
建物全体に「石の奇跡」とも称される繊細な彫刻が施されており、その姿を見たヴィクトル・ユーゴーは、「巨大で繊細な驚異」と評したといわれています。
正面中央の入り口上部にあるタンパン(ドアの上の水平な梁とアーチに囲まれた部分)
は4段に区画され、イエスの生涯の出来事が彫刻されています。
一番下の段には「最後の晩餐」。下から二番目の段にはイエスが十字架を背負わされ、磔刑に処せられ、埋葬されるまで。最上段にはイエスの昇天が描かれていると思うのですが、さあ、上から二段目は何を現しているのでしょうか?いくら目を凝らしてみても、奇妙な彫刻の意味が分かりませんでした。どなたかお分かりになる方、教えてください。
アーチの上の三角形で囲まれた部分の最上段には、聖母子像が彫られています。
その下はソロモンの像。階段状の所には12匹の獅子が置かれています。
大聖堂正面には3つの出入り口がありますが、左側の出口の上には4人づつ8体の彫刻があります。
先ずは左側面の4体の彫刻から。
一番左端は「誘惑」の象徴の男性像でリンゴを持っています。右横の3人が「愚かな乙女たち」の像で、誘惑に負けて堕落の道に落ちてしまう存在です。
次に右側面の4体の像について。
一番左端がイエスで進むべき道を示しています。右の3人が「賢き乙女たち」で彼女らは正しい道を照らす油の入った燈火を掲げています。その道は天国への道でしょう。
大聖堂の内部に進みます。
正面右側の扉が入り口専用で、入場には手荷物検査を受ける必要がありますが、中は写真撮影自由で何の規制もありません。もちろん無料です。
大聖堂内に設置されている「天文時計」今も正確に動いています。
毎日12時30分にはからくり人形が回転します。
時計の機械装置がスケルトンになっている箇所がありました。そこには「教会の計算」(comput Ecclesiastique)と書かれていました。教会に係るカレンダーや行事の日付(例えば復活祭の日付等)をいつにするかを正にコンピューターのように精密・正確に計算できると云われています。
以上のような大聖堂に関する説明は、全てwebからの受け売りですが、付け焼刃であるにせよ、予備知識を持って細部を見ていくと実に興味深いものがありました。
情報って大切だなーと実感した次第です。
更に先に進むと、聖トマ教会があります。 そう、イエスの脇腹の傷に指を差入れて確かめた上でキリストの復活を信じ、イエスに「見ないで信じる者は幸いである」と言われたあの疑り深いトマスを祀った教会です。
昼間に写真を撮り漏らしたので夜の写真になってしまいました。
この教会の正面祭壇が凄いんです。 壮大な大理石の彫刻が置かれています。
これはジャン=バティスト・ピガール作の「モーリス・ド・サックス元帥の霊廟」です。
正面上部には毅然として屹立するサックス元帥の生前の姿が。
正面下部には元帥の棺が安置され、左にライオンの皮を纏い悲嘆にくれる男性が。
右には、棺の蓋を開け、元帥の魂をあの世へと誘おうとする死神の姿が。
印象的なのは、右手で元帥の左手を握り、左手を大きく死神に向けて伸ばし、『連れて行かないで!』と言わんばかりの切実悲壮な表情のご婦人の姿。恐らくは元帥の奥方かと・・・。
元帥の右(向かって左)には2頭のライオンが。一頭は槍で差し抜かれて仰向けになっています。
元帥の足元に大きく羽を広げている鳥は何でしょうか?
背後右に配された大きな旗は、元帥の歴戦の武勇と功績を象徴するものでしょうか?
(以上は私の勝手な解釈です。どなたか正しい答えをご存じの方、教えていただけると有難いです。)
私、正面祭壇と言いましたが、個人の霊廟を正面祭壇にするのはおかしいと思いました。よく思い出してみると、この教会の祭壇は建物が十字になった真下に机状の祭壇だけが置かれていて、祭壇画など祭壇を装飾するようなものは無いように思われました。従って、個人の霊廟が偶々正面に安置されているだけで、彼を祀っている訳ではないものと理解しました。
教会を出て先に進むと、いよいよ「プティット・フランス」(Petite France)と呼ばれる地域に至ります。 この辺りの風景は、木組の家並みが水面に映って、とても美しく風情があります。
2017年にお絵描きの仲間と来た時、私はここの場所をスケッチしました。
その作品がこれです。お恥ずかしい…。
さらに河畔の公園を進むと、急に空が開け、それまでとはガラッと違った景色が広がります。
3本の塔の間を結ぶクヴェール橋(Ponts Couverts)と、その向かいに連続したアーチが印象的な堰堤 ヴォーバン・ダム(Barrage Vauban)があります。
(この写真はウエブから拝借)
(この写真もウエブから拝借)
塔は全部で4本建っていますが、収まりきらないので最後の1本は省略。
「イル川クルーズ」の遊覧船もここでUターンします。
2017年に来たときには、ここもスケッチしました。
その作品がこれです。 お粗末・・・。
ここまで来ると、ストラスブール旧市街の中州もお終いです。
ここから違う道を通って引き返しました。
クレベール広場(Place Kléber)に出ました。
この広場は、フランス革命期などに活躍したストラスブール出身のクレベール将軍を記念して命名されたもので、広場にはクレベール将軍の銅像が立っています。
下の写真の大きくて立派な建物は、オーベット(L'Aubette)と呼ばれ、内部はショッピングモールとなっていました。
オーベット側から見たクレベール広場です。
イル川を渡り対岸から旧市街を眺めながら宿に帰りました。
夕食はホステルのレストランで頂きました。
夕食後、旧市街の夜景を見に出かけました。
以上でストラスブールのレポートはお終いです。
明日は、カールスルーエに行きます。