2023.8.21

 

Back to the Beach

 

ご無沙汰しました。記事を「下書き」にしたまま執筆が進まず、

だいぶタイムラグが生じてしまいました。

今日(8/25)ようやくアップできる運びとなりました。

 

8月5日の発熱以来、大事を取って部屋で安静にしていた家内が、今日(8/21)、漸くビーチにカムバックしました。

 

朝食を済ませて、10時頃出かけました。

少しでも風の弱いところにしようということで、アパートの南西にある岩場のビーチを選定しました。

 

ビーチの手前の木陰で、キャンピングカーでの生活を楽しんでいるご夫妻が、外に設えたテーブルで朝食を召し上がっていました。目が合うと、ご夫妻は親しげな笑みを浮かべて手を振ってくれました。勿論我々もGood morning!と挨拶しました。

 

 

家内は、岩の上にタオルを敷いて日光浴(日焼け)を楽しむことにに専念し、今回は海に入るのは見合わせていました。

「こうやって寝ているだけで十分リゾート気分が味わえるわね。」と家内は言います。

 

そりゃそうでしょう。なにしろ目の前はエーゲ海。青い海。誰もいないビーチ。抜けるような青い空。燦燦と輝く太陽。遠くにパロス島の島影。沖を行き交うヨットや帆船。聞こえるのは波と風の音。・・・これがリゾートでなくて何なんでしょう。

 

 

 

 

ともあれ、快復までにだいぶ時間がかかったけど、家内が元気になってくれて本当に良かった!とつくづく思います。

ビーチで一人で泳いだり日光浴をしていても、何となく面白くないし、家内の具合が気になって心から楽しめません。

 

無理をさせて病気がぶり返すことのないよう気を付けながら、残る12日間を大切に過ごしたいと思います。

 

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別の日・・・家内の体調が良さそうだったので、またビーチに出かけました。

 

我々のアパートの前のビーチは、ミクリ・ヴィグラ・ビーチの一番端っこにあるプライベート感のあるビーチなのですが、その更に端っこにある「隠れ家的ビーチ」に行ってみました。

 

 

ここは知る人ぞ知る「隠れ家」的ビーチで、誰にも煩わされずに静かに日光浴を楽しむことが出来るので、我々のお気に入りの場所となりました。

 

 

 

 

 

また、別の日には、風の穏やかな岩場のビーチに出かけたりもします。
ここにビーチがあることを一般の人は知らないと見え、いつ行っても誰もいません。
偶にキャンピングカーの奥様が泳いでいるのとかち合うくらいです。

 

 

 

 

 

ボーッと岩の上に座って海を眺めながら考えるのは、人間にとって旅とは何か? 人はなぜ旅をするのか? 人はなぜ移動するのか? ということです。

 

「貴方の趣味は?」と訊かれたら、私は真っ先に「海外旅行」と答えるでしょう。

しかし、私にとって「旅」とは「趣味」以上の意義を持つもののように感じます。

 

改めて「私にとって旅とは何か」を考え、「自分にとっての旅の意義」を捉えなおし、頭の中で「旅を再定義」してみることは、今後の私の余生の過ごし方をデザインする上でも大切なことのように感じるのです。

 

私の旅の原動力は「好奇心」と「憧れ」です。

旅の目的地を決める際の決め手となるのは、往々にして「偶然」です。

TVの旅番組で見た美しい場所、旅の雑誌で見た魅力的な場所、偶々ある人のブログ記事で紹介されていた興味深い場所、・・・等々、偶然その土地の魅力を知り、想像を膨らませ、その想いが「憧れ」に昇華したとき、私の中で「次はここへ行こう!」と決まるのです。

その意味では恋愛感情と似ていなくもありません。

「どうしてこの場所を選んだの?」と現地の人に訊かれることがあります。

私は「この場所を偶然知って「恋」をしてしまったからです。」と答えるようにしています。

 

 

そもそも人類は20万年前にアフリカに誕生して以来、移動を続け全世界に子孫を広げました。何故彼らは多くの困難を乗り越えて移動したのでしょう?

ゲルマン民族の大移動だって不思議です。彼らを突き動かした原動力は何だったのでしょう?

それは「逃避」だったのでしょうか?「冒険」だったのでしょうか?

 

私は移動することは人間の性(さが)であり本能なのではないかと感じています。

 

私はしばらく「旅」に出ていないと、心がウズウズして落ち着かなくなります。

人は自覚するとしないとに拘わらず、大なり小なり同じように感じるものだと思います。それが証拠にゴールデンウイークやお盆休みになると、人々は日頃のウズウズを解消すべく一斉に移動を開始します。

 

罪を犯した犯人を監獄に収監するのは、人間の性を逆手にとって、自由な移動を拘束される「苦痛」を罰として与ようとするものに他ならないでしょう。

 

 

人は自由な移動を禁じられると、物凄くストレスを感じるものだと思います。

その良い例が、コロナ禍における不要不急の外出自粛だったと思います。

 

現時点では、海外旅行をするに際して、何事もなかったかのように昔通り自由に飛行機に乗れ、国境を超えることが出来るようになりました。喜ばしいことです。

 

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旅のスタイルには、大きく分けて二つのスタイルがあると思います。

一つは、観光地を巡り、ショッピングを楽しみ、美味しいレストランで食事し、心地よいリゾートタイプのホテルで寛ぐ・・・というスタイルです。いわば、商業主義によってお膳立てされた疑似空間だけで完結してしまう旅です。

 

もう一つの旅のスタイルは、観光地巡りやショッピングはホドホドにして、その土地の人との交わりを大切にし、地元住民の日常を旅という非日常の中で体感することで、異文化の理解を促進し、他者への共感や多様性に対する寛容を醸成できるような旅のスタイルです。

 

私は断然後者のスタイルを好みます。

その目的を達成するためには、一つの土地にある程度長期の滞在が必要となり、非日常の中で「日常」を体感するということは、必然的に「退屈」感を伴うものだと思っています。異国の地で退屈する・・・。何という贅沢な体験でしょう!

 

いつも挨拶を交わすキャンピングカーのご夫妻は、2か月間もあの場所に陣取り、非日常の中での日常を楽しんでおられるようです。狭いキャンピングカーと変わらぬ景色。きっと退屈しておられると思います。でも、その旅のスタイルを変えようとはしません。20年前にこの土地を購入して以来、同じ時期に同じ場所に来て同じような生活を続けている。キャンピングカーなので、他のどこにでも行けるというのに・・・。

ある意味、腹の座った、羨ましい人生の過ごし方だと思います。

ご夫婦のどちらが主導権を持っているのか知りませんが、二人の好みが一致して、二人揃って健康でなければできないことです。

 

 

私にとって「旅」とは、私を突き動かす抗し難い「欲求の発露」であり、人生にワクワク感をもたらすスパイスのようなものです。お金は棺桶迄持っていけないけど、旅の想い出は人生の最後に走馬灯のように頭の中を巡るのではないか・・・。枕元に居る妻と旅の想い出を語り合いながら臨終を迎えられたら最高だ・・・ボーっと海を眺めながら、そんなことを考えてしまいます。(臨終の枕元に妻が居てくれるかどうか、それが問題ですし、第一そんなことを考える「意識」が最後まであるとは考え難いんですけどね。)

 

 

 

Sitting on a rock and gazing out at the sea, thinking about what travel means to humans?

 "Why do people travel?" "Why do people move?" 

 

 If someone asks me, "What are your hobbies?", I would answer "overseas travel" first and foremost. 

However, I feel that "journey" has more significance than "hobby" for me.

 

Thinking again about “what is travel for me?”, re-capturing “the significance of travel for me,” and “redefining travel” in my mind will help me understand “how I will spend the rest of my life in the future.” 

I feel like it's important to plan about the rest of my life. 

 

The driving force of my journey is "curiosity" and "admiration". 

Chances are often the decisive factor when deciding on a destination for a trip.

 

A beautiful place I saw on a TV travel program, an attractive place I saw in a travel magazine, an interesting place that I happened to see in someone's blog, and so on. 

When that feeling is sublimated into "admiration", it is decided in me, "Let's go here next!"
In that sense, it may be similar to romantic feelings.
“Why did you choose this place?” I am often asked by locals.
"I fell in love with this place by chance. ” I always try to answer.

 

 

 

In the first place, since human beings were born in Africa 200,000 years ago, they continued to migrate and spread their descendants all over the world. Why did they move through so many difficulties? 

It is strange that the Germanic peoples migrated. 

What was the driving force behind them? 

Was it an "escape"?    Was it an "adventure"? 

 

I feel that it is human nature and instinct to move.

 

 

 

The camper couple who always exchange greetings seems to have been in that place for two months and enjoying their daily life in an extraordinary way. 

A narrow camper and the same scenery. I'm sure they are bored. 

But they won't change their style of travel. 

 

Since they bought this land 20 years ago, they have come to the same place at the same time and have been living the same life.
They have campers so they can go anywhere else... 

 

In a way, I think they are living an enviable way of life. 

 

I don't know which of the couple has the initiative, but it can't be done unless both of them have the same tastes and are both healthy. 

 

For me, "journey" is an irresistible "exposure of desire" that drives me, and it is like a spice that brings excitement to life. 

 

We can't take our money with us to the coffin, but at the end of our lives, the memories of the trip will circulate in our heads like a revolving lantern. 

 

It would be great if I could meet my deathbed while talking about memories of my trip with my wife who is at my bedside. 

 

(Whether or not my wife will be at my bedside at the end of my life is the problem, and it's hard to imagine that I would have the "consciousness" to think about such a thing until the very end.)

 

 

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今朝は、珍しく家内が「パンを食べたい!」と言い出しました。

「買いすぎちゃったお米やパスタが沢山残っているのに・・・」というと、「明日死ぬかもしれない人が、どうしてもパンが食べたいと言ったらどうするの?」と訳の分からないことを言います。仕方がないので、1km位離れたベーカリーにパンを買いに行きました。

 

イオアニスから「あそこのパン屋は美味しいよ!」と聞いていたのです。

カフェも併設していてなかなかシッカリした店構えのベーカリーでした。

 

パンの種類も豊富でした。

 

パン屋からの帰り道はこんな感じ

 

帰りは、途中からミクリ・ヴィグラ・ビーチ を経由して帰りました。
朝が早いせいか、昼間はウインドサーファーたちで賑わうビーチには誰もいません。

 

ビーチの端っこに小さな船着き場がありました。

 

朝日と船着き場

 

 

バゲットは軽くトーストして、バターとマヨネーズを塗って、炒り卵とレタスとチーズを乗せたオープンサンドにしていただきました。美味しかったです。

 

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昨日の夕陽はひときわ綺麗でした。

珍しく空に雲が浮かんでいて、それが夕陽に照らされて、見事なオレンジ色の世界を演出してくれていました。

 

人生夕陽に感ず・・・そんな歳になってしまいました。