2023.7.1

 

アスティパレア島へ

 

1日遅れで到着したスーツケースを無事に取り戻し、ギリシャ国内線のSky express便でアスティパレア島に向かいました。

 

搭乗方法は、ボーディング・マシンではなく、バスで飛行機まで移動する方法です。

 

バスを降りると待っていたのは何とプロペラ機!\(◎o◎)/!


出発の前日、ある会合で私の旅行のことが話題になった際、一人の女性が「ひょっとしてプロペラ機かもしれませんよ。」と言ったので、私は「まさか、今の時代にそんなことは無いでしょ。チャンとジェット機が飛んでいるさ。」と笑い飛ばしていたのですが、本当でした! 恐るべし、老婆の予言!

 

機体は見るからに「お年寄り」で、所々塗装が剥げていたり妙に隙間が空いていたりします。特に尾翼の辺りに「お疲れ」が目立つように感じやや不安になりました。

 

座席の窓からプロペラの付け根やエンジン周辺の板金の状況を見ると、気のせいか何だか小さなクラックが入っている様にさえ見えてきます。 杞憂だと良いのですが。

 

「今回だけでいいから何とか持ち堪えてくれ!」と祈らずにはおられませんでした。

 

やがてテイクオフ。 プロペラ機独特の快い振動音が身体に伝わってきます。 

眼下にはアテネの乾いた風景が望めたかと思うと、すぐにエーゲ海上空に出て、以後美しい島々が点在する様子が展開し、飽きる間もなく1時間のフライトが終わりました。

 

それではご一緒に、エーゲ海の空の旅をお楽しみください!

 

 

アスティパレア島の飛行場は笑っちゃう位小さく、飛行機を降りた乗客は、小屋のような空港建物に徒歩で向かいます。

 

荷物もすぐに出てきました。

空港建物の外に出ると、何人ものお迎えが、それぞれのホテルの名前を書いたプラカードを持って並んでおり、私もすぐに運転手を見つけることが出来ました。



私のアパートまでの道中は感動的でした。

真っ青な空と海とを背景にして、荒涼として起伏に富んだ黄土色の大地が広がり、白い家々がへばり付くように点在しています。

これから幾らでも写真を撮る機会はあろうと思いながらも、揺れる車内から写真を撮らずにはおられませんでした。

 

 

 

車はやがて「ホラ」というこの島唯一の町に入りました。

白い家々が密集した丘の上に古い城塞が佇む、夢にまで見た美しい景色が広がります。「おー!良いじゃないか、良いじゃないか!」と思わず声を上げてしまいます。

 

車は一旦、港のある海辺に下り、再び曲がりくねった狭い急坂を上って我々のアパートに到着しました。スタッフの女の子が待っていてくれましたが、部屋のキーを渡すと何の説明もしないままサッサと居なくなってしまいました。

 

部屋の外には広いバルコニーがあって、期待通りの美しい城塞の景色が正面に眺められます。左手に目を移すと赤い屋根の風車が連なって見えます。なかなか良いロケーションです。

 

 

ところが落ち着いて部屋の中を見ると、ダブルベッドが一つしかありません。

我々はお互いが気になって熟睡できないため、必ずツインベッドでなければ寝られないのです。 困ったなー・・・と思っていると、これまで何回もメールで遣り取りしてきたオーナーのアントニオが姿を現しました。

 

彼に「ツインの部屋を予約したの筈なのにぃー!替えてくれない?」と訊くと、もう一つの部屋を見せてくれましたが、そちらはキッチンが付いていません。それ以外の部屋は全て塞がっているということです。
 

「それじゃ私は床に寝るから、マットレスか布団を貸してちょうだい!」と言うと、

アントニオは笑って、「それじゃ折り畳みのエキストラ・ベッドを持ってきてやるからそれに寝れば?」と言うのでOKしました。

荷解きをしていると、アントニオはすぐに折り畳みのベッドを持って戻ってきました。

寝てみると、スプリングが柔らかく、フニャフニャな寝心地です。でも、無いよりはマシなのでこれでOKということにしました。

どうせこのアパートは1週間でチェックアウトし、次は港に近い別のアパートに引っ越す予定だからです。

 

アントニオは、調味料や食材がゴチャゴチャに詰まった私のスーツケースを興味深げに眺めていました。彼はカフェも経営していて日本食が大好きなんだそうです。


キッチンの周辺に調味料や食材を並べ、自分仕様の部屋作りを終えると、やっと落ち着くことが出来ました。

 

 

お腹が空いてきたので、遅い昼飯を食べに、次に引っ越すアパートのオーナーが経営しているビーチ沿いのレストランまで歩いて行くことにしました。

炎天下の坂道を延々と2kmほど下って行かなければならず、帰りはとても歩いて登ってくる自信はありませんでした。


因みに、今滞在しているアパート「アトランティック(Atlantic)」のオーナーも、次のアパート「カルデラ・ステューディオス(Caldera Studios)」 のオーナーも、同じアントニオ(Antonio)という名前で、二人は知り合いだそうです。

尤も、たかだか人口1,300人ほどの小さな島ですから、島民は殆どが知り合いのようなものなのでしょう。

 

我々は紛らわしいので、前者をアントニオ1、後者をアントニオ2と呼ぶことにしました。

 

アントニオ2のレストランは、リバディ(Livadi)というビーチの一番奥にありました。

店に居たアントニオ2に挨拶すると、彼は非常に喜んで我々を眺めの良いテーブルに案内してくれました。

アントニオ2とは半年前からメールで色々と遣り取りしていましたので、私の名前を聞くと直ぐに判ったようです。

 

ランチはオーソドックスにグリーク・サラダとカラマーリのフリット、それに生ビール
の大ジョッキ2つを注文しました。

 

 

美しいビーチを眺めながらの食事はまた格別なものがありました。

 

お会計の際に、『すぐそこのミニスーパーで食材や飲み物をシコタマ買ってくるのでスマンがアトランティスまで車で送ってもらえないか?』と訊くと、アントニオ2は快諾して、埃だらけ錆だらけのポンコツ車でアパートまで送ってくれました。

 

これで一応の食材も揃ったので、一休みした後、丘の上の城塞を探検しに行くことにしました。

 

長くなったので、その記事はまた次回に。