2022.6.1
西への一人旅 (高野山編)
今日は、「谷瀬の吊橋」⇒「高野山」⇒「明石」という行程です。
私は5時間寝るとパッチリと目が覚めます。 昨日は12時に寝たので、朝5時に目が覚めました。 ブログを書いて、お粥を頂いて、身支度をして、8時半にチェックアウトしました。
出発前に、ゲストハウスの外観の写真を撮りました。
先ずは、「谷瀬の吊橋」を目指します。
湯の峰温泉まで来た時に通った、細い山道を熊野本宮大社まで戻り、そこから十津川村方面に向かいます。 心配したよりも広い道で助かりました。
美しい十津川の景色を左右に見ながら、慎重に、でも結構スピードを出して、快適なドライブです。
谷瀬の吊橋に着いて、近くの市営駐車場に車を止めましたが、何と800円もします。
他に停めるところもないのでしかなく停めました。
さあ、渡ります。
この敷板が、わざとかどうか、しっかり固定されておらずガタつくので恐怖心を煽ります。
あんまり長いので、途中で引き返そうかと思ったのですが、折角来たので意地でも渡り切りました。
動画を撮りましたので、皆さんにも一緒に渡っている感覚を味わっていただこうと思います。
渡り終わって振り返った映像です。
私はこれまで、「ヤセノツリバシ」と読んでいたのですが、ゲストハウスのアヤさんに
『タニゼノツリバシと言うんですよ。』と教えられました。
試しに調べてみたら、「八瀬の吊橋」というのも存在することが判りました。
叡山電車八瀬比叡山口駅近くにかかる「八瀬の吊橋」
ところで、この十津川。 見たところ昨日までの熊野川と同じ川の続きのように見えるのに、何処から十津川になったんだろうと疑問に思って調べてみたら、Wikipediaに
「十津川は、熊野川の中流域、主に十津川村内での呼称である。天ノ川が五條市で十津川となり、多くの支流を集め、和歌山県新宮市熊野川町宮井で北山川と合流し熊野川となる。」
と出ていました。納得です。
次は、高野山です。
今まで走ってきた国道168号線から53号線に左折し、深い山道に入ります。
途中、「雲海景勝地」と表示のある辺りを通りました。確かに美しい山並みでしたが、雲海は出ていませんでした。
カーブの多い山道をズンズン走っていると、急に軽トラックが前方に現れ、中央をはみ出して、こちらに向かってくるではありませんか! 急ブレーキをかけて止まると、相手も気がついて急ブレーキをかけ、危うく衝突を免れました。
窓を開けて「オイオイ、どうしたのよー!」と声をかけると、先方のオッサンは、「スンマセン!よそ見しとった!スンマセン!」と平謝り。 「お互い気をつけようねー。」と言って別れました。 積んでいた荷物が悉くシートからずり落ちてしまいましたが、大事に至らなくて良かったです。 こういうことがあるから、山道は気をつけなければなりません。
険しい峠を越えて高野町に入ると、どこか厳かな雰囲気が漂い始めます。
道の両側に、由緒ありげな立派な寺社が立ち並び、『おー!とうとう高野山に来たな。』という思いがしました。
大きな駐車場のある「奥の院参道入り口」に着きました。
しかし、ここで車を降りて歩いたら相当な距離がありそうなので、お目当ての「壇上伽藍」を目指してさらに進むことにしました。
周囲には寺院や宿坊が立ち並ぶ町中を、ゆっくりと進みます。
走っていて気が付いたのですが、高野町の周辺は、車の駐車に対して大らかなような気がしました。 道路の脇にかなりのスペースがあり、車を停められそうで、実際チラホラ何台かの車が停まっていました。 そして、どの寺院や宿坊にも広い駐車場があって、「関係者以外駐車お断り」などといった無粋な掲示はありません。 「参拝される方はどなたでもご自由にお留めください」といった大らかさと優しさがあるように感じました。
壇上伽藍に着きました。
壇上伽藍は、弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所、すなわち 「この世に密教浄土を創る」という空海の思いが込められた場所といわれます。
高野山のシンボルともいわれる「根本大塔」は圧倒的な存在感を持って迫ってきます。
根本大塔の内部には、大日如来の像を中心としてその周囲に四つの仏像が配置され、さらにその周りに建つ十六の柱には十六菩薩が描かれ、極彩色の曼陀羅の世界が顕現されているそうですが、内部は撮影禁止なため、入り口から覗いただけで失礼しました。
その映像がこちらです。
周囲には多くの関連施設が建っていました。
下の写真は六角経蔵(ろっかくきょうぞう)です。
鳥羽天皇の妃の美福門院(びふくもんいん)が、天皇の菩提を弔うため一切経千巻を納めるために寄進されたものだそうです。
お堂の外側には取っ手がついており、これを押して一周回すと一切経を一回読経したのと同じ功徳が得られると言われています。
下の写真は「西塔」です。
「中門」(ちゅうもん)です。
中門の左右表裏には、聖域を護る四天王が睨みを効かせていました。
持国天、多聞天、増長天、広目天だそうですが、どなたがどなただか・・・
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中門の四天王について調べて判ったので以下に追記します。
この記事は、次のURLからの引用です。⇒
高野山中門の四天王、広目天の胸にセミ | 高野山真言宗やすらか庵 (yasurakaan.com)
高野山中門の四天王
高野山中門の四天王は今ちょっとしたことで有名になっていますが、何と四天王の胸にトンボとセミが止まっているのです。
増長天の胸にはトンボが、広目天の胸にはセミが停まっています。
四天王とは仏国土の四方を護る天であり、東西南北を担当しています。
一般的な寺院の門の左右には仁王(金剛力士)と言われる守護神が配置され、一体は口を開いた阿形(あぎょう)、もう一体は口を閉じた吽形(うんぎょう)をしていますが、高野山の中門では門の中に四天王が配置されています。
高野山中門の四天王の配置については次のようになっています。
- 正面から見て右-多聞天
- 正面から見て左-持国天
- 裏から見て右-広目天
- 裏から見て左-増長天
高野山中門の四天王の中でも多聞天と持国天は1843年の伽藍に於ける火災の時に中門は焼け落ちるのですが、幸いに運び出されていて、伽藍の西塔と根本大塔に安置されていました。
そして2012年に大仏師松本明慶(まつもとみょうけい)によって多聞天と持国天の解体修理が施され、その二体に合わせて増長天と広目天が新造され、2015年(平成27年)4月に完成して開眼供養が行われました。
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裏から見て右・・・胸にセミが停まっているのが広目天です。
裏から見て左・・・胸に蜻蛉(トンボ)が停まっているのが増長天です。
正面から見て右の多聞天です。
正面から見て左の持国天です。
真言密教の世界に興味のある方は、次のURLのサイトに詳しく開設されていますのでご覧になられては如何でしょうか。
【世界遺産】高野山・壇上伽藍を100倍味わう見どころ徹底ガイド~根本大塔に見る密教浄土の世界~ - みんなの一人旅 (tryxtrip.com)
こうして高野山の参拝をサクサクッと終え、次は今日の宿泊地、明石を目指します。
明石は私が4年間支社長を務めたところであり、懐かしい土地です。
今日のお宿は、またしてもゲストハウス。 その名も「ゲストハウス GeraGera」 です。
明石の少し手前。神戸市垂水区の国道2号線の海岸沿いにあります。
ドミトリーはこんな感じ。
ラッキーなことに、宿泊者は私一人。 シャワーもトイレもプライベート状態です。
もし混みあっていたら、とても落ち着いて泊まれたもんじゃなかったと思います。
とにかく狭くて、しかも机が無いので、PCをやるのに苦労しました。
明石に着いたらやらなくてはいけないことがあります。
福岡のMさんに、明石名産の焼き穴子をお土産に買っていきたいと思っていたのです。
「魚の棚」という魚介類を扱う店が並んでいる商店街で買えるはずなのですが、魚屋は早く店仕舞いしてしまうので急がなければなりません。
車で乗り付けると、辛うじて一軒まだやっている店があり、店頭に焼き穴子が売っていました。間に合って良かったー!
別のお店で、「いかなごのくぎ煮」も売っていましたのでそれも買いました。
これでヤレヤレです。
夕食は、「魚の棚」で穴子のお造りと、蒸し穴子と、鯛茶漬けをいただきました。
穴子と鯛を食べたので、〆に明石焼きを食べました。
もうお腹一杯です。
どれも昔の方が美味しかったように思いました。
これでもう思い残すことはありません。
後は寝るだけ。
ゲストハウスに戻って、若者がテラスでBBQをしながら賑やかに盛り上がっているのを尻目に、8時半に寝てしまいました。
明日は厳島です。