2021.9.24


『漁師と経営コンサルタントの話』 

 

掲題の内容からズレますが・・・、


一昨日のこと。

池間大橋の手前のお気に入りのビーチでゆったりとした時間を過ごしました。

この日は、先日食べて美味しかった「タコライス」をテイクアウトし、お弁当に持参しました。

海で食べると一層美味しかった!


若いカップルが、遠浅の海をどこまでも歩いて行って、お互いに写真を取り合っていました。

仲睦まじい姿がほほえましくて、写真を撮ってしまいました。



戻って来た彼らに声をかけ、「二人の写真を撮ったけど要る?」と訊くと、

「はい、是非いただきたいです!」 というので、LINEを交換して送ってあげました。
貰ってくれてよかった! 「要りません! デリートしてください!」なんて言われたらどうしようかと思ったわ。

 

***

 

港で、人懐っこい猫を見つけました。

 

人に懐いてくれるネコは可愛いのでつい撫でてしまいます。

本当は犬の方が好きなんですけど・・・。

 

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閑話休題。 

今日、ネットでこんな文章が目にとまりました。


『メキシコ人の漁師とハーバード大卒のコンサルタントの話』 と題された記事です。
少々長いのですが、そのまま引用してみます。



メキシコの海岸沿いの小さな村を、
アメリカ人エリートコンサルタントが訪れました。

波止場に止めてある漁師の船を見ると、
黄色い背びれを持つ活きのいいマグロが獲れています。

そのアメリカ人コンサルタントはその船の漁師に尋ねます。

「その魚を釣り上げるのにどれくらい時間がかかったのですか?」

メキシコ人漁師は答えます。

「数時間くらいかな。」

「なんでもっと長く海に残って、もっと魚を獲らないんですか?」

「家族を養っていくに足る分だけ獲ればそれでいいのさ。」

「では、仕事以外のときは何をして過ごしているんですか?」

「朝遅くまで寝て、家族との会話を楽しみ、

妻のマリアと一緒にゆっくり昼寝をして、
夕方頃には村に散歩に出て、仲間たちとワイン片手にギターを弾いて

楽しい時間を過ごすのさ。
本当に充実した毎日だよ。」


それを聞いて、コンサルタントは
鼻で笑いながら言いました。

「私はハーバード大学を卒業してMBA(経営学修士)を取得したコンサルタントです。
そこであなたに助言をしましょう。

まず、あなたはもっと漁をする時間を長く取るべきです。
そして、大きな漁船を買ってください。

そうすれば、もっと魚を取ることが出来て、さらに多くの船を買うことができますよ。

最終的には大きな漁船団を手に入れることが出来るでしょう。」

「また、仲介業者を挟まずに獲れた魚は加工業者に直接出荷しましょう。
最終的には自分の加工工場を作ることが出来るでしょう。
生産、加工、流通に関してすべて自分でコントロールできるようになりますよ。」

「そしたら、こんな小さな漁村を離れてメキシコ・シティに移り、

その後ロサンゼルスに、最終的にニューヨーク・シティへ進出するんです。
あなたの大きくなった会社を経営できるようにね。」


それを聞いた漁師は、コンサルタントに聞きます。

「で、それはどれくらい時間がかかるんだい?」

「15~20年くらいですかね。」

「じゃあ、その後は?」

コンサルタントは興奮気味に答えます。

「ここからが最高ですよ。
あなたの会社を株式公開して、自社株を大々的に売り出すんです!
あなたは巨万の富を手に入れ、一躍億万長者に成り上がるのです!」

「巨万の富か…それで、次は?」


コンサルタントは満面の笑みで答えます。

「そしたら、大金を持って早期リタイヤですよ!
あなたの好きなことがなんでも出来るんです!

朝遅くまで寝て、家族との会話を楽しみ、

奥さんのマリアさんと一緒にゆっくり昼寝をして、
夕方頃には村に散歩に出て、仲間たちとワイン片手にギターを弾いて
楽しんだりできるでしょうね!」


 

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上記の笑い話のような寓話は、一読すると「慎ましやかで幸せな漁師」の生き方を ‟appreciate”し、「富に優先基準を置き大切なことを後回しにしているコンサルタント」が描く生き方を ‟depreciate”しているように受け止められます。 

この寓話の作者もそういう意図で書いていると思われるのですが、私は素朴で慎ましやかな生活の大事さを理解する一方で、そう単純に片づけてしまっていいのかな?と引っかかるものを感じてしまうのです。

 

 

漁師の生活や収入は、天候や海流に漁獲高を左右される不安定で零細なものでしょうから、予期せぬアクシデントに備えることが難しく、リタイヤ後の豊かな生活を保障する経済的基盤を築けるかどうかも疑わしいと言わざるを得ません。

 

一方、コンサルタントのアドバイスに従って事業の拡張にチャレンジして成功すれば、確固たる経済的基盤を築くことが出来、豊かな老後を送るための資産も確実に貯えることが出来るようになるでしょう。

 

たとえ両者がともに同じように幸せな老後が送れたとしても、築き上げた資産という点では雲泥の差がある筈です。 この点は重要な差だと思うのです。  

 

もしこの漁師の年齢が若ければ尚更、小さな小舟の漁師に甘んじることなく、大きな夢に向かってチャレンジした方が将来は開けてくる可能性があります。

 

私は、この寓話の続きを次のシナリオのように考えてみました。

 

 

シナリオ①

漁師はコンサルタントの話を聞いても、現状の生活に満足していたので、生活スタイルを変えることはしませんでした。

 

ところが数年後、地球温暖化の影響からか、海流の流れが変わり、魚がさっぱり獲れなくなってしまいました。

 

漁師の生活は徐々に苦しくなり、奥さんのマリアは地元のスーパーでアルバイトをせざるを得なくなりました。

 

二人の息子たちはそれぞれ成長し、長男は高校を卒業し父親の漁師家業を継いでいましたが、漁獲高が思わしくないので漁師は諦め、町に出て工場で働くことにしました。

次男は大学に進学しましたが、親の仕送りに頼る訳にはいかないので、教育ローンを借り自らもアルバイトをして学生生活を送りました。大学を卒業し社会人になってからは、教育ローンの返済が重くのしかかって生活は決して楽ではありませんでした。

 

やがて漁師は高齢となり、漁に出ることは難しくなりました。 収入は共済年金と奥さんのアルバイト収入で、夫婦二人が生活していくにはヤットコサという状況です。

夫婦は仲が良く、ともに元気でいますので今のところは問題ないのですが、夫婦のどちらかが健康を害した場合のことなどを考えると、老後の不安は尽きません。

 

息子たちもそれぞれに結婚して家庭を持ちましたが、経済的には楽ではなく、共働きの状況です。

 

 

シナリオ②

コンサルタントのアドバイスを受け入れた漁師は、懸命に働いて漁獲量を増やし、多くの漁船を持つようになり、やがて株式会社を設立して優秀な従業員を沢山雇用し、生産・加工・流通の全ての工程を自らコントロールするまでに事業を発展させることに成功しました。 

そしてついには会社の本社をNYに移すとともに、自らの生活の拠点もNYに移しました。

 

二人の息子は、名門大学に進み、それぞれの道をしっかりと歩み始めています。

 

やがて元漁師は高齢となり、リタイアしましたが、多くの資産を所有し、老後の不安もなく、愛する奥さんとフロリダとモナコの別荘を行き来する豊かな老後を送ることが出来ました。

 

 

 

人生には事故や病気、事業の失敗など、様々なリスクがつきものですし、成功の陰には犠牲にした物も少なくはないと思いますので、上記のような単純なシナリオ通りにはいかないことが多いのも事実でしょう。

 

どちらの生き方を理想とするかは人それぞれの価値観や考え方によると思います。

 

 

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旅行していると、よく若者が「ワーホリ」とか「自分探し」とか言って、仕事を中断して海外に長期滞在しているのを見かけます。

 

彼らは自由に自分らしい生き方を模索し、青春を謳歌しているように見受けられますが、私は彼らの将来に一抹の不安を覚えずにはいられないのです。

 

『人生はそんなに甘くないよ。先ず若いうちは自分の仕事に専念し、然るべき成果を積み上げるように努力すべきではないのかな。 「自分探し」は仕事を通して行ってこそ意味があると思うよ。 人生を心行くまで楽しむことは、リタイア後でも十分可能であるし、老後の時間は結構長いんだよ。』

 

説教じみたことをいうのは嫌いなので口には出しませんが、そういう若者に会うとこんなアドバイスをしてあげたくなってしまうのです。

 

 

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ところで、理想的な人生ってどんな人生でしょうか。

 

彩り豊かな花や植物、繊細で美しい工芸品、おいしい料理、家族や友人たちとの愉快なおしゃべり、音楽や読書の時間、冒険心あふれる旅。こうした人生の楽しみを味わいながら暮らすことが出来たら、一応幸せな人生なのかもね。 そしてできる範囲で人の役に立つボランティアも続けられたら理想かも…。

 

一度限りの自分だけの人生。 貴重な自分の時間を人のために使うなんて無駄のようにも思えます。

だけど、自分のことしか考えない人生が必ずしも幸せとは限りません。

だからこそ人生は面白いのかも。

 

                          ***

 

「人生を時計に例えるなら、午前0時は誕生したばかりの赤ちゃん。朝6時はまだ20歳で、40歳でもまだお昼頃。50代は午後3時を過ぎたくらい、ちょうどお茶の時間でしょう? 深夜まではまだまだ時間があります」

という50代の人の文章を目にしました。

 

この譬えで言うと、今の自分(11月で74歳)はそろそろ夜の9時になろうとする頃です。

一日の活動を終え、就寝前のブランデーグラスを傾けながら、一日を振り返って日記などを付け、パジャマに着替え、歯を磨き、顔を洗って、好きな本を持って寝室に引き籠る頃です。

一日の中で一番穏やかな時間でもあります。

 

 

こう考えると、自分は今、穏やかで幸せな節目に差し掛かっているようですが、何だか寂しい気もします。

 

『 早すぎる! まだ寝室に引き籠るには早すぎる! 俺は宵っ張りなんだー!』

と叫びたくなってしまいます。

 

そうだ! 上の譬えは、人生を「80歳・24時で打ち止め」としているからいけないんだ。

気持ちの上では100歳越えを目指したい。 だから、人生を時計に譬えるなら、少なくとも24時の年齢を100歳として時間の経過を考えるべきなんだ。 

 

こういう前提に立つと、75歳はちょうど夕方の6時ということになります。

 

いいじゃないか、いいじゃないか!

夕方の6時なら、正にこれから夜の街に出かけて一杯ひっかけて、旨いものでも食って、ナイトライフを楽しもうという時間です。 

あるいは、自宅のキッチンで、昼間仕込んだ食材を自分好みに調理し、好きなワインと共に「俺は料理の天才だ!」と自画自賛しながら舌鼓を打ったりする時間です。 

とにかく深夜まではまだ時間があります。

 

 

体力の衰えは随所に感じるけれど、私は今のところ幸い健康には恵まれています。

気力もある。好奇心もある。行動力もあります。 

人生まだまだこれからです! 

こう考えると、『これからの人生を大いに楽しむぞー!』という勇気が湧いて来ます。

 

とはいうものの、有り余る時間が残されている訳ではありません。

本当に自分がやりたいことは何なのか。やり残したことは無いのか?・・・ をよく考えて、 

惰性に流されず、大切に、真剣に、計画的に、アグレッシブに、残された人生を生きていきたいと思う今日この頃なのであります。

 

(取り留めのないことを書いてしまいました・・・反省)