2019.7.29
ピコスデオイローパの入り口
‟エノール湖とエルシーナ湖”へ ハイキング
リャネスでの生活も残すところ今日を含めて3日間となってしまいました。
「今日は天気も良さそうなので、ピコス・デ・オイローパにハイキングに出かけてみよう。」と話が纏まり、昨年行ったけれども、天候がイマイチで景色が見られなかった ‟エノール湖とエルシーナ湖” のハイキングに再挑戦することにしました。
リャネスを出たバスは、ポサーダの町から内陸部に入り1時間でカンガス・デ・オニスに着きます。乗客は終始我々二人キリでした。 カンガス・デ・オニスでバスを乗り換えます。
赤い円で囲んだあたりがピコス・デ・オイローパ国立公園 我々が訪ねたのはほんの入り口です
カンガスデオニスからのバスは、ハイキングの格好をした乗客でほぼ満席になりました。
バスは、レコンキスタの聖地コバドンガで一時停車し、更に上のラーゴ(湖)を目指して険しい山道を喘ぎながら登ります。
車窓から見たサンタ・マリア・ラ・レアル・デ・コバドンガ教会(Basilica de Santa Maria la Real de Covadonga)
≪歴史のお勉強≫
北アフリカを拠点とするイスラム勢力は8世紀初頭にジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に侵攻します。
その後イスラム勢力は急速に勢力を拡大し、西ゴート王国を滅ぼしカンタブリア山脈およびピレネー山脈以北にまでキリスト教勢力を追い詰めていきました。
これに対し、イスラム勢力に滅ぼされた西ゴート王国の貴族を称するペラヨが、718年にキリスト教徒を率いて蜂起し、722年にこのコバドンガでの戦いでイスラム軍に初めて勝利ししました。
これは実際には小規模な戦いに過ぎませんでしたが、イベリア半島のキリスト教徒にとっては象徴的な初勝利であり、これがレコンキスタの始まりと言われています。
その10年後には、フランスのトゥールポワティエの戦いでフランス軍がイスラム軍に勝利しています。
そしてイスラム勢力に対するキリスト教徒の失地回復(レ・コンキスタ)の戦いは、紆余曲折を経ながら最終的にグラナダが陥落する1492年まで、実に770年の歳月を要したのです。
コバドンガには「聖なる洞窟」(Santa Cueva)があって、聖母像(Virgen de Covadonga)を祀る礼拝堂がありますが、昨年訪れたので今回は見に行きませんでした。
バスはどんどん高度を上げます
見晴らしがきいて綺麗長閑な農村の家バスの車窓から見たエノール湖同上同上プリンシペ展望台からの眺め
ピコスの山々の頂は雲の中でした
子牛がお乳を飲んでいましたのんびりと寝そべる牛たち牛とエルシーナ湖
山の天気は変わりやすく、我々が引き上げようとする頃には、霧が立ち込めてきました。
少し早いのですが、寒くなってきたので、カンガス・デ・オニスの町まで下りて、休憩。
ここはアストゥリアス王国における最初の首都がおかれたところです。
セリャ川に架かるローマ橋橋の真ん中には勝利の十字架が
十字架の左右に、ギリシャ文字のA(アルファ)とΩ(オメガ)の文字が見えます。これは、新約聖書の一番最後に置かれたヨハネ黙示録に出てくる、神が自らを表した言葉に基づいています。 「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』(一章八節)。アルファとオメガは、ギリシャ文字の最初と最後ですが、これは、天地創造の初めから、この世の終りまで、神の支配の下に歴史は動くということを表しています。
市の紋章には「MINIMA VRBIUM ・ MAXIMA SEDIUM 」(最小の都市・最大の首都)という言葉が刻まれています。三日月の上の十字架はイスラム軍に対するキリスト軍の勝利の象徴です。
市庁舎と裁判所の建物
サーモンの燻製とチーズが旨し!
カンガス・デ・オニスのバスターミナル
このポスターのような快晴とはいかなかったけれど、良い天気に恵まれて念願を果たすことが出来ました。 これで思い残すことなくリャネスを後にすることが出来ます。
アパートに戻ると、海はいつになくうねりが大きくなっていました。
窓から海を眺めていると、船酔いしそうになります。
さあ、そろそろサン・ヴィセンテ・デ・バルケラへの引っ越しの準備に取り掛かるとしましょう。