2019.7.9

 

マティアス(Mathias)との会話の続き
日本はなぜ捕鯨に固執するのか

 

ロスバゲに関する電話を終えてから、マティアスとしばらく会話を楽しみました。

 

彼も旅行が趣味で、翌色々な所を旅しているそうで、私と話が合いました。

『旅をすること、それが人生だ。』という彼の言葉に、『まさに私も同感だ!』と応じました。

 

私が、「今度、あなたのガールフレンドと一緒に、是非日本へ遊びにおいでよ。私の車で日本中を案内してあげるよ。」というと、彼は

「日本に行くことは小さい頃からの夢だったんだ。漫画やゲームで日本の独特な文化に憧れていたからね。本当に計画するよ。そしてその時は絶対連絡するよ。」と応えます。

 

そして、日本のお勧めの観光地や、フランス各地の美しい村々について話をしていた時です。 スマホの写真を操る彼の指が突然止まりました。

 

彼のスマホの画面には、日本の捕鯨船(キャッチャーボート)の捕鯨砲(銛)の写真と、大きな鯨の姿が写っていました。彼のFBの画面のようです。

 



マティアスは「あっ、そうだ。今問題になっている捕鯨の問題についてだけど、日本は何故クジラを殺すんだ? とても理解できない。」と、かなり深刻な表情で訴えます。

 

私も、日本がIWC(国際捕鯨委員会)脱退を表明し、この7月から商業捕鯨が再開されたことはニュースで知っていたので、ドキッとしました。

 

私はドギマギしながら、「うーん。その問題で日本が国際的に批判を浴びているのは知っているよ。私はハワイでよくホエールウオッチングをしたりイルカと泳いだりするので、クジラやイルカは愛すべき存在であると思うし、平和や癒しの象徴として保護すべき特別な生き物であると感じているよ。私は鯨肉を食べないし、殆どの日本人は鯨を食べたりしないから、彼らを殺す必要性も無いと思うよ。だから自分としては捕鯨には反対だし、今回の政府の決定には日本人として申し訳ないという気持ちだよ。」と回答するのが精一杯でした。

 

マティアスが帰った後で、彼のFBを繰ってみると、彼がシェアした日本の捕鯨問題の記事が出てきました。 

「日本は何故捕鯨に固執してクジラを殺すのか?」 

マティアスの真剣な眼差しを思い出しながら、改めて私の考えを纏め、彼のFBの記事に長文のコメントを書き込んだ次第です。

 

 

 

戦後生まれの私は、食糧難の中で、学校給食で出される鯨を食べて育ちました。

しかし今や日本の食糧事情は豊かになり、食肉は幾らでも輸入できるし、質の高い国産牛肉や豚肉も不自由なく食べられます。

私はこの50年間、殆ど鯨肉を食べていませんし、日本人の殆どは鯨肉を食べません。

今、国際的な反感を買ってまで商業捕鯨を再開する必要性が何処にあるのでしょうか?

国際協調を旨とする日本が、今回のように多国間の枠組みから脱退したことは、極めて異例で重い問題だと感じます。

何かにつけてバッシングを受けやすい日本です。

今回の日本の態度が世界にどう映っているのか、世界がどう受け止めているのか。
その点が非常に気になるところです。

 

他にも捕鯨を続けている国が沢山あるのに、なぜか日本だけが槍玉に挙げられてしまう傾向にあるのは歯がゆいことですし、『クジラが可哀そうだから殺してはいけない』という感情的な議論にはついていけないものを感じるのも事実です。

しかし、日本が主張する「調査捕鯨」などという言葉は明らかにまやかしであり詭弁であると思うし、クジラを食べることが日本の食文化だなどとは、一部の捕鯨利害関係者以外、誰一人として信じてはいないでしょう。

今回の政府の決定には、一部国会議員による捕鯨関係者の持つ票へのおもねりと仲間意識、そして管轄する省庁官僚の既得権(組織・人員・予算)保持と保身の意識が、ドンヨリと絡んでいるように思えてなりません。