29日に母方の祖父が亡くなりまして。
ちょっとバタバタしてましたぁーーー![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
無事に、全ての儀式が滞りなく終了致しました。
よくよく考えてみると、
身近な配偶者の死って、初めて見まして。
父方の祖父の時は、祖母は認知症だったので、半分分かってて半分分かってないような感じだったし、
父の時は、離婚してたので母はいなかったし。
旦那の祖父の時は、義祖母は既に他界してていなかったし。
親の死というのは自身経験しているけれど、
配偶者の死というのを目の前で見たのは初めてで。
勝ち気な祖母と
無口な祖父。
いつも祖母にお尻を叩かれながら、
あーだのこーだのギャーギャー言われながらも、
大きな声を出して怒ったりすることもなく(小さな声で祖母に聞こえないように文句は言ってるw)
よく2人で国内海外と旅行に行ったりして。
なんだかんだでラブラブな夫婦だったと思います。
祖父は数年前から病気で、認知症も発症し、
元気で勝ち気な祖母が、祖父を看ていました。
母は祖父母の為にと、祖父母の住む市に引っ越し、支えていました。
認知症が進み、トンチンカンなことをよく言うようになってきて、
温厚だった祖父が、声を荒げて祖母に刃向かうようになっていきました。
祖母の叱咤激励もあり、自分のことは自分でどうにかやっていた祖父。
それでも認知症が進み、祖母は毎日イライラしてヒステリックを起こすようになり、母はそんな祖母と祖父を毎日支えていました。
8月中旬に祖父の病状が悪化し入院してからは、毎日朝から夕方まで病院に通っていた祖母と母。
精神的にも体力的にも大変だったと思います。
病状が一気に悪化したのは29日のことでした。
朝まではまだ会話ができていたらしいのですが、急激に悪化し、朝までもつかどうか…の状態へ。
そのまま母と祖母に看取られ、翌未明に息を引き取りました。
言い方は悪いけれど恐らく、祖母にとって大荷物だった祖父。
でもそれは生きていてこそ。
どこかホッとする一方で、
結局ラブラブだった祖父母。
昭和29年から平成29年まで、寄り添って生きてきた2人。
その相方を失った悲しみ、喪失感は計り知れません。
大きな体で家の中をノソーッと歩いていた祖父。
「あぁもぉ、邪魔くさい!!そんな大きな体でこの狭いところウロウロしないで!!」
なんて言われていた祖父は、隣の和室で白いお布団の中、白い布をかけて寝たまま動きません。
あんなにいつも
「本当にもぉ!私がいなきゃ何にもできないんだから!!」って怒っていたのに、
火葬場で、いよいよ最後のお別れの時、
熱気を放つエレベーターのような物の中に入って行く祖父に
「おとうさん、大丈夫!?1人で行ける!?私いなくて大丈夫!?大丈夫かな、1人で…。」
そう言って涙を流す祖母を見て、
夫婦ってこういうものなんだなぁ。と、何か感じるものがありました。
夫婦は赤の他人だけれど、
こんなに長く一緒に過ごすのも、夫婦だけ。
最近特に、
自分のことだけで手一杯精一杯で、
旦那にイライラする事が増えているけれど、
それもまた夫婦。
「私がいなきゃ何にもできないんだから!」
きっとこの長い年月、ずーっとそう思って、そう怒って、連れ添ってきたのでしょう。
それが、祖父母の夫婦の形。
私も私達なりの夫婦の形で、これからも生きていきたいと思います。