昔の私
かつて私は
過食嘔吐だった
過食嘔吐は
食費が異次元の金額になる
大学生で
私は病気なのに
実家を離れ
大阪の大学へ進学した
当然
並みの
仕送りだけでは
やっていけなかった
やめたくても
やめられない
過食嘔吐で
仕送りが底をつく
親に甘えて
追加の振り込みを
お願いし続けた
当時の
ダメな私
バカな娘のために
母は仕送りを
続けてくれた
過食嘔吐と知っていたから
どうすることもできないと
理解していてくれたから
見捨てないでいてくれた
母のおかげで
今がある
だからと
言うわけではないけど
7年前
まだ健康な母を
名古屋から呼び寄せた
離婚して
一人暮らしの母を
我が家から
徒歩1分の場所にある
綺麗なアパートへ
迎えいれた
最初はお友達も居なくて
ホームシックにも
なっていたけど
今では
いろんなコミュニティに参加して
今はたくさんのお友達がいる
高齢でも
若くピンピンしてるから
つい子供の面倒を見てと
今でも甘えてしまうけど
何かあったら
すぐに駆けつけられる距離
食費が抑えられるように
夕飯のお裾分けも欠かさない
同居しないのは
独りの世界を好む母からの
唯一のわがまま
当時の
罪滅ぼし
と言うわけでは
ないけれど
過食嘔吐が治った今
ようやく
私なりの親孝行が
出来るようになった
過食嘔吐罹患中の
あの頃は
まるでギャンブル依存症のように
仕送りが食費に消えていくのに
黙って見守ってくれた
我が母
『過食嘔吐を治しなさい』
とは
一言も言わなかった
摂食障害は
自分のコントロールで
治せるものではないと
私も母も認識してたから
無理難題を
言わないで居てくれた
あの頃の
母の愛があって
今の私が居ます
これからは
私が
貴女のすべての
面倒をみるからね
私にしてくれたことを
私が今度は返す番
私の親孝行は
これからも日々続きます
過食嘔吐に罹患して
27年間
当時の私たちは
過食嘔吐は自分で
コントロール出来ないと
思っていたけど
本当はコントロール
出来るものでした
たんぱく質さえ
身体に充満すれば
過食が起きない
これさえ
知っていれば良かったけど
当時は無知の私たち
母の出す食事が糖質依存で
たんぱく質が圧倒的に
足りなかったことも
原因のひとつでした
過食嘔吐のパラドックスを
数年前に知ったときは
母に憤慨したことも
実はありました
幼少期から
高たんぱく質食を
出してくれていたら
罹患したりしなかったのにと…
でも
このブログを書きながら
当時の母からの
無限に尽きない愛を
今 強烈に感じています
愛情表現の
苦手な母なりに
私へしっかり愛を
届けてくれていたことを
今はっきり理解しました
高齢になった母
将来の私が
後悔しないように
毎日を大切に
見守っていこう
#投稿ネタ
ひとつで
こんなにも
深い愛に気づくなんて
アメブロさん
投稿ネタ
善き『お題』を頂き
ありがとうございました❤
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