ヨーガと健康 | デグーのつきとロップイヤーのはるとの暮らし in 沖縄
世界保健機構(WHO)の健康に対する定義(要約)から学びを深めていきました。


定義の中に、宗教的にも。。
という表現があります。
つまり、適当な言葉がなく、便宜上あてはめた表現だそうです。


宗教的にも。。って聞くと、宗教を信仰しないといけないのかはてな?と思ってみたり。。あやしいって思うかもしれません。


しかし、ここの意味は。。
『自分が如何にして、何故に今此処に存在しているのかという自己の出自に対してしっかりとした自己認識を得ていること』と言えます。
つまり、ヨーガでの理解は、私はなぜ生きているのか理由がわかっている、ことです。


これは、出生時からの母親との関係が大きく左右されるのです。
母親とは子どもにとって、安心できる存在であり、此処にいていいんだ!という自己存在の認識を確立していく、大切な関係性。
つまり、自己存在を否定するような経験があれば自己存在を肯定することが困難になることもあります。


もともと、人は皆、古代からの基本的欲求として、自己存在の意味を知りたいという欲求があります。


だからこそ、自分探しって言って、旅に出る人もいれば、ヨーガに出会ったり。。するのかも大切


最近、考えさせられることが多い。
それは、自己存在の肯定のこと。
認識を変えればストレスの受け方も変わり、強くなるかもしれない。。
でもね、それ以上に否定的な言葉や批判的な言葉を聞き続けることで、自己存在の認識が否定的なモノへなるのではないだろうかはてな?


自分自身はどうなのだろうかはてな?と。。反省点も踏まえつつ。。


例えば、手段は、私自身の経験。そこから学び気づくことが多い。だからこそ、どんな方法であっても苦ではない。
努力した結果が、どうであれ、努力した方法が自分自身の経験であり糧であるんだけどなぁー、と、思ってはいるのですが、やり方否定されると存在をも否定された気持ちになります354354毎回だから。。。


私自身、気を付けないとなぁー☆


あっ、良い話もありますよ☆

ある母親の話。。
お子さんの名づけの由来を聞いたとき
『まずは、自分を愛することが一番大事だから。。』と。


いろいろ考えている最中でのお言葉だったので、鳥肌立ちましたきらきら!!







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