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現在中学一年生の次女。
ゴールデンウイーク明けに、1度登校してから
完全に登校しなくなった次女ですが、
次女は学校が好きだと思っていました。
それでも、小学生でも
毎日遅刻でした。
さらに、月曜日や夏休み明け、ゴールデンウイーク明けなど長期休暇の後は数日休みました。
もしくは、数か月休むこともありました。
低学年のころは、保健室に週に2回ほど、給食を食べるだけ登校を半年はしておりました。
教室に行けるようになってからも、4年生までは母子で登校し、母も一緒に授業を受けました。
5・6年生の時に、一人で登校できていたし、まずまず安定して(遅刻ですが)登校できていると感じていました。
嫌なことがあっても、それなりに立て直し、
また次の日学校へ行く。
当たり前と思われること。
これができなかった次女が、遅刻しながらも登校できるようになってきていたから。
それに、5・6年生はかなり活発でした。
多くの役に立候補し、苦手だったはずの人前で話すことも積極的にやって、
今までやれなかった習い事にもチャレンジして、
喧嘩をするクラスメートの仲裁に入って仲直りさせたり、
一人でいるクラスメートを鬼ごっこに誘って仲間にいれたり、
授業もいつもしっかり挙手し、
友達からはおもしろくて、フレンドリーとよく言われていました。
先生からもそれなりに評価はよかった。
もしかしたら、
ずっと無理をしていたのかもしれないなと思ってきて。
不登校からの回復期で、少しずつ学校に慣れてきている状態たわと思いたかったんです。
私も安心したかったんです。たぶん。
安定して登校できるようになる途中段階だと思いたかったところもあると思うんです。
でも、
いつか、こんなふうに、完全に学校へ行けなくなる日が来るかも。
と、いう不安は常にありました。
でも、学校は大好きなようにも見えました。
4年生まで母が付き添ってまで行かせた学校。
次女にとっては行かなけれなばいけないと私からのプレッシャーを感じていた部分はあるのかもしれない。
私も頑張って付き添ってつらかった。
やらなければよかったのかな。
6年生のときは、「私が付き添っても登校させたから、学校という楽しさを次女が知れてよかった」って思ってたけど、
次女にとっては、ずっと母の気持ちに答えなければと思わせていたのかも。なんて思ってくる。
毎日遅刻してもオッケー、休みたいときに休んでもオッケー、保健室へ逃げてもオッケー、帰りたいときは帰ってきてオッケー。
たくさん学校と調整して、
フォロー体制万全にして、
次女の気持ちを大切にしていると思ってきたけど、
それも、逆効果だったのかな。
そうじゃなかったのかも。
自分の気持ちを封印して、目も前のやるべき課題を意思を持たずにこなしていく。
それが、
不登校につながる場合もある。
もう、たくさん本を読んで忘れたけど、
「不登校になる子は良い子」という文言。
次女も良い子であろうとしたのかも。
だから、活発になって、学校も楽しそうにしてた?
不登校の回復期だと思っていたのは違って、
ゾンビ登校期だったのかも。
そして、限界に達して息切れしたのかも。
ずっとそこは悩んできたけど。
そこを見分けるためにも、私は、もう、次女の意思の邪魔をしたくない。
だから、登校の圧を一ミリも与えなくないんです。
次女の意思が出てくるまで時間をかけてでも待ちたい。
子供にとっての1年は大きいと思う。
でも、たかが数年。
自分と向き合って、ゆっくり休むこともいいかなとも思うんです。
こうやって書いていると自分の気持ちを落ち着いて書けるけど、
やっぱり、登校できているママ友の価値観に触れると、かなり焦ってくる。
勉強とか塾とか、テストとか、受験とか。
受験も、本人がしたくなければぜずに、面接だけでいける通信制高校もいいなくらいで考えている私なのに、
それでも焦るのに、
次女はもっと焦ると思うから、
今は外部の刺激に揺さぶられて、良い子であろうたせずに、
自分と向き合う時間にしてほしい。
だからそういうことに触れさせたくない。
過保護かなぁ。
主治医の指示のもと、
次女に、躾や教育をせずに育ててきました。
「楽しいことをやってたら、楽しい人生を送れるから」と言ってきました。
自分がやりたいことなら努力できるだろうし。
自分の意思を大切にして学校でさえ、休みたいときは休んできたはず。
どこから無理してたんだろう。
私はどんな対応したらいいのだろう。
またぶれてきております。
やっと待ちに待った、次女の主治医の日がもう少し。ぶれぶれの気持ちを伝えて、方向性を聞いてみたいです。
私の心の整理のために書いています。
最後まで読んでくだありがとうございます![]()
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