三里塚と聞いて、成田空港を思い浮かべる人は、もう少ないのでしょうか。成田空港へは数回行っていても、三里塚がどこなのか知る由もありませんでした。どこかへ行く、どこかから帰る、誰かを見送る、誰かを出迎える。いつも緊張して慌ただしく過ごす場所でした。

先日のドライブで、初めて千葉県道58号線を走って三里塚小学校の横を通りました。広めの校庭をたくさんの子どもたちが走り回っていました。地図には芝山の地名もありました。

調べると新空港用地としては富里・八街案、霞ヶ浦案、木更津沖の埋め立て案もある中、開港を急ぐ政府の1966年7月4日「新東京国際空港の位置および規模について」(閣議決定)で三里塚・芝山の工事が始まり、1978年5月20日に国際空港として開港したそうです。私は1985年の1月に初めて成田空港から国際線に搭乗しました。設備はまだ不十分で、窓の外には緑の草が元気に生い茂っていたのを思い出します。


右矢印1966年7月4日の「新東京国際空港の位置および規模について」は、事前説明が全くないままの発表であり、三里塚案の採用を報道で知った地元住民は猛反発しました。

地元住民らは開拓地の借金問題、土地を失うことや騒音問題への懸念から「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し、三里塚闘争を開始しました。

*三里塚・芝山地区については、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林の転用が可能なこと、またその周辺の主な土地は戦後開拓で入植してきた経済力のない農民のものであったため、民有地の土地取得も容易に進むと考えられました。


さそり座 反対同盟は「空港は農民の生命である農地を破壊する」という地域全体の反対感情を惹起させ、最初に地域的反対運動として始まりました。さらに革新政党から反対派への指導支援に始まり、多数派住民との合意で約9割の予定地が確保された後に、残存反対派が新左翼の支援を受け入れたことにより反対運動が激化しました。   (Wikipediaより)