シベリア抑留は、日本の敗戦後に、およそ60万人に上る旧日本軍の兵士らがソ連の捕虜となって、シベリアの強制収容所で強制労働に従事させられた歴史上の出来事です。

厳しい寒さと、重労働と飢えは、抑留された人の一割にあたるおよそ6万人の命を奪いました。その悲惨な状況は、体験者の手記や記録でさまざまに伝えられています。

石原吉郎のエッセー(「海を流れる河」)は、しかし、そうした手記とはおもむきが異なっていました。それは石原が、悲惨な体験のにあるものを見つめようとしたからなのでしょう。(畑谷史代「シベリア抑留とは何だったのか」)







シベリアで「戦争犯罪人」として二五年の刑を言い渡され、特に条件の厳しいラーゲリへ送られた石原。その心の支えは<誰かが背負わされる順番になっていた「戦争の責任」を自分が背負ったのだ>という思いと、<このことだけはかならず日本の人たちに理解してもらえるという一種の安心感>だった。
 
だが、帰国後に待ち受けていたのは、自分を含め抑留者のほとんどが<「シベリア帰り」というただ一つの条件だけで>就職の門を閉ざされ、<生きる道を拒まれ>る現実だった。

(畑谷史代「シベリア抑留とは何だったのか」より)