冷めたい場所で  伊東静雄

私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ

 (詩集「わがひとに与ふる哀歌」より)




*同じ詩を3月にも載せました。

伊東静雄略歴 明治39年長崎県諫早市に生れ、佐賀高等学校を経て昭和4年京都大学文学部国文科を卒業。同時に大阪府立住吉中学校に就任、昭和23年学制改革により大阪府立阿倍野高等学校に転任して終る(→生涯一教師として生きた)。
  昭和10年 「わがひとに与ふる哀歌」
  昭和15年 「夏花」
  昭和18年 「春のいそぎ」
  昭和22年 「反響」

伊東の家はそれほど豊かでもなかったらしいし、兄弟も多かった。重い一家の責任が秀才息子伊東の双肩にかかっていたようである。おそらくその青春を圧殺して伊東は家のために孤独な勉強をしていたのだと思う。
   (川副国基「伊東静雄の故郷」)