野口寧斎(ねいさい)は若くして漢詩人としての名を上げ、森鴎外の「舞姫」評や、正岡子規との論戦はあまりに有名であるーーとのこと。
名も業績も知らなかった野口寧斎ですが、友人に巌谷小波(いわやさざなみ)の名前が出てきました。


➡️童話作家として知られる巖谷小波とは生涯にわたる交友を結び、狂詩の応酬などを行った。


漢詩・漢籍となると距離感が出てしまい、寧斎の人物像も浮かびませんが、事件もあったようです。

その死はハンセン病による病死と言われているが、寧斎の自宅(麹町区二番町2-56)に同居していた義弟(妹婿:野口男三郎)に殺害されたのではないかとも言われている。当時義弟の男三郎は愛妻にも兄:寧斎のハンセン病が遺伝するのでは(兄妹の父はハンセン病にて他界していた為)と怖れ、「人肉はハンセン病に効く」という当時の噂を真に受け、11歳の少年を殺してその肉を何も知らない妻と寧斎に振舞ったという嫌疑(殺人の嫌疑)で逮捕されていたため、家人は義弟の寧斎殺しも疑ったそうです。