青い道  左川ちか

涙のあとのやうな空。
陸の上にひろがつたテント。
恋人が通るために白く道をあける。

染色工場!

あけがたはバラ色に皮膚を染める。
コバルト色のマントのうへの花束。
夕暮の中でスミレ色の瞳が輝き、
喪服をつけた鴉らが集る。
おお、触れるとき、夜の壁がくずれるのだ。

それにしても、泣くたびに次第に色あせる。

 (「左川ちか全集」より 1932年の詩)




左川ちかは1936年1月に亡くなる(享年24才)までの間に約90篇の詩、20余篇の翻訳詩文、10余篇の散文を残した。萩原朔太郎・西脇順三郎・春山行夫・北園克衛・伊藤整らに前途を嘱望され、将来のヴァージニア・ウルフ、ガートルード・スタインに例えられもした。