この詩の感想を女子短大のテキストに出題したら、ほとんどの学生が自然破壊と公害追放の通念に結び付けて答えていた。だがそれだけではあまりにも読みが浅い。驚き驚き驚き


 森の奥 ジュール・シュペルヴィエル

昼も小暗い森の奥の
大木を伐り倒す。
横たはる幹の傍
垂直な空虚が
円柱の形に残り
わなないて立つ。

聳え立つこの思ひ出の高いあたり
探せ 小鳥等よ 探せ
そのわななきの止まぬ間に
かつて君等の巣であつた場所を。(堀口大学 / 訳)

 

「円柱の形に残」る「垂直な空虚」が「わなないて立つ」は、不意に中断された生命の見事な形象化である。

在って消えた物の周囲をむなしく羽搏いている小鳥たちに向かって、詩人の「探せ 小鳥等よ 探せ」の呼びかけは、もはや絶望の叫びでしかない。梢の巣は二度と何処にも見付からないのだから。

一読可憐なこの小詩の核心は抒情でも政治への憤りでもない。空間存在の解き得ぬ謎と、寂寥の思考に私を沈み込ませる。(思潮社・現代詩文庫「丸山薫詩集」より)



日本の詩人で、同様にシュペルヴィエル を愛したのは飯島耕一であった。旧制第六高校時代、シュペルヴィエル に傾倒。短篇集(コント)「ノアの方舟」を愛読する。