<木村先生の思い出> その2

先生は何でもこちらの相手になって話をしてくださるものだから、授業が終るたびに先生の研究室におじゃまして、居坐り、おしゃべりをするのが習慣のようになってしまった。研究室だけでなく、先生にくっついていろんなところへ行った記憶がある。それは散歩だったり、本屋や映画館だったりした。先生の宿舎の部屋でそば掻きをご馳走していただいたことも忘れられない(先生は昔からそばが大好物だった)。

先生は当初は単身赴任で札幌に来ておられた。厳冬期には東京へ帰られたが、これは他の先生方も同様だった。東京へ帰られる前に職員宿舎で先生は私に荷物を預けたりされたが、その時一緒におられた中国文学の武田泰淳(たいじゅん)先生からも立派な下駄を一冬お預かりした。

先生の前でその後神西清氏のことは口にしなかったかと言えば、そんなことはない。一、二年後に神西氏の「詩と散文の間」と題されたエッセイ集が出たとき、さっそくそれを買った私は読み終えるか終えないかに先生のところに持って行った。数日後にお会いしたとき、先生は「いま日本であんな風に書ける人は神西さんしかいないでしょうね」と感想を、最大級の賛辞を述べられた。

  (ロシアの文学・思想「えうい」1986 15 追悼
                 ■木村彰一 より)