眠る湖水 シュペルヴィエル

一本の樅(もみ)の木が、夜、
誰も見ていないとき、
櫂(かい)もなく腕もない
一隻(せき)の舟になる。
ときどきひたひたと
波音がして、
そのまわり一帯の
水がおびえる。

 (詩集「無実の囚人」安藤元雄訳/より)



シュペルヴィエル 自身も子供のころから、牧場で牧童(ガウチョ)たちにまじって馬を走らせたり、目をさえぎるものもない大草原(パンパ)の中で動物や植物の生と死を見つめた体験をもち、また、ヨーロッパとの間を何度となく往復する汽船の甲板から、これまた目をさえぎるものもない大西洋の海原を眺め、その海面の下にひそむ生と死の深淵に思いをはせた経験をもつ。これは近代文明の内側に育った者よりも、遥かに直接的に、存在の根源に触れることである。(安藤)