林檎と蛇 西脇順三郎

   1

汽車の中でひとりの商人は
柔かにねむる
自分の家にゐるようにすこやかに
なんといふ不規律なベゴニアの花

   2

わが魂の毛皮
路傍に痰を注ぐ
延命菊にうつるわが影の貧しき

   3

ぐらつく黄昏のバルコンの上で
ひとりの料理人が
ミモザの樹の如く戦慄する
わが幼年の思ひ出のはしたなき

 (詩集「あむばるわりあ」より)



西脇順三郎は詩人・英文学者。新潟県小千谷出身。小学校で得意な学科は図画、中学入学後は英語に異常な興味を抱き、勉学に熱中。当時のニックネームは「英語屋」。ほとんど他の学業は顧みず、英語・絵画に精進した。中学卒業後、画家を志し上京したが父の死にあい、画家志望を断念。家人の説得で、慶應義塾大学理財科に進むが経済学への関心は薄く、専(もっぱ)ら文学書、語学書に親しんだ。