川と河  飯島耕一

   4

水をのむと
渇きは 癒える
しかし それでも
癒やされない 渇きというものがある
その渇きだけは
確乎として 存在している
どこへでも
ついてくるのだ

   5

一九四五年夏
きみは 疎開先のN町の
S医院の 母屋の庭で(母屋というものがあった)
S氏や 看護婦さんたちと
ラジオをとり囲んでいた。

みんな 黙りこくっていた
空だけが 上のほうにあった
まわりの人の顔が
見られなかった
泣くことも笑うこともない
とはあのことである。

突然 S医師が
銀行へ行って 金をおろして
来るようにと
奥さんに命じた
そのときのS氏のことばが
いつまでも
耳の底に
不快なものとして
残っていた
だが いまは そうばかりとも思わない
日本の戦後は
S氏のことばのほうへと
いっさんに駆け出したのだ。

   6

たしか八月十七日か八日
汽車に乗って
歩兵第十聯隊の兵営の門附近や
塀のまわりを歩いた
実にひっそりしている
ひっそりとして 人の気配はない
電信柱や 門のわきに貼られたビラに
<徹底抗戦!>という文字がある・・・。

   7

駅はくさい
あの昭和二十年夏の 駅ほど
くさい場所を寡聞にして知らない
絶体絶命になると、
きれいな女もあのようにくさくなるのだ。

 (詩集「バルセロナ」より)


  コスモス    コスモス    コスモス    コスモス

その昔、夫がNIHの面接で趣味を聞かれて、1つは詩を読むこと、飯島耕一のようなと答えたと聞いて、私も飯島を少し読むようになりました。なので、今も飯島耕一の前には(頭の中で)such as がつくのです。オバケ天使オバケ