旅人かへらず  西脇順三郎

三五 青いどんぐりの先が
  少し銅色になりかけた
  やるせない思ひに迷ふ


三六 はしばみの眼
  露に濡れる頃
  真の日のいたましき

三七 暮るるともなき日の
  恋心
  山里の坂
  どんぐりの里の恋しき

三八 窓に欅の枯葉が溜まる頃
  旅に出て
  路ばたにいらくさの咲く頃
  帰つて来た
  かみそりが錆びていた

三九 九月の初め
  街道の岩片(かけ)から
  青いどんぐりのさがる

  窓の淋しき
  中から人の声がする
  人間の話す音の淋しき
  「だんな このたびは 金比羅詣り
  に出かけるてえことだが
  これはつまんねーものだがせんべつだ
  とつてくんねー」

  「もはや詩が書けない
  詩のないところに詩がある
  うつつの断片のみ詩となる
  うつつは淋しい
  淋しく感ずるが故に我あり
  淋しみは存在の根本
  淋しみは美の本願なり
  美は永劫の象徴」