ドイツ文学者の柴田翔が書いた、「詩に誘われて」(ちくまプリマー新書)がpcのそばに置いてあり、パラパラとページをめくることも多いのですが、いつも気になるページがあるので、引用しますね。

 おそらく性の思いは、人間のいちばん奥から発しているもので、一方で他者との共同性を渇望しながら、他方で、孤独を通じて、自分の自然性へ戻ろうとする傾向をいつも持っているのだと思われます。
 仕合せな恋をしていても不幸な恋をしていても、いつも、です。
 性の思いの深みの中で、人間は社会的存在である自分から離脱して、ひたすら自然存在である自分へ戻って行くのです。
 そのとき、ひととひととの関係も(たとえば恋人同士、あるいは夫と妻というような)社会的関係ではなく、自然存在同士の関係となる。
 その結果そこに成立するかも知れない自然共同性は、恋の求める、いわば人格的共同性と同じものなのか、食い違うものなのか。
 舌足らずの言い方を許してもらえれば、それが近代の抱え込んだ、そして今も続く難問の一つだという気がしています。
(第3章 性と死 「孤独な自我」よりの引用)