その日、ライブ会場となった新宿のレコード店は、不思議な空気に包まれていた。
最前列を陣取る20代後半の女性は、
少女のように頬を上気させ、
胸にはドーナツ盤のレコードを大事に抱えて、
ステージに立つ2人の男性を見つめている。
そう、彼らこそ20年前に一世を風靡した日本のジャクソン5こと、フィンガー5のメンバー、
トンボメガネがトレードマークの四男晃さんと、三男正男さんだった。
彼らはこの春、名前の頭文字を取った『AM FINGERS』として、再デビューを果たしたのだ。
今やすっかり大人になった2人だが、
彼らのファンは昔の面影を忘れることはできない。
懐かしのナンバー『学園天国』を歌い始めると、会場はさらに盛り上がりを見せていった。
今思い返してみると、
フィンガー5が歌謡界を席巻したのは、
73年から75年のおよそ2年間、あっという間の出来事だった。
しかも、彼らは人気絶頂期に、
それまで稼いだお金を持って、家族揃ってアメリカへと渡り、
ファンの前からフェイドアウトしていったのだ。
「2年間働きづめでしたから、
ここで休まなければどうしようもないという限界まできていたんです」
当時を振り返りながら、正男さんはいう。
「なんたって、一日のスケジュールが、学校通いながらテレビ、ラジオ6本に、取材が12~13本という驚異的なものでしたからね。
それに、毎日毎日朝昼晩と、兄弟の同じ顔ばかり見ている生活にも、いい加減飽き飽きしていたんです(笑)」
そんな晃さんの言葉に、正男さんも「そうそう」と笑って頷く。
フィンガー5解散後は、兄弟5人がそれぞれの道を選び進んで行った。
現在長男の一夫さんは不動産会社社長、
次男の光男さんは美容師の資格を取りヘア・アーティストとして活躍、紅一点末っ子の妙子さんは結婚して主婦業に専念しているという。
「僕も電気屋の営業や、不動産会社のサラリーマンなど、普通の仕事を何年間やっていたんですよ。
小学生の頃から芸能界にいて、
芸能人は芸能人しかできないなんて思われたくなかったからね。
社会勉強にもなって、ホントいい経験でしたよ」と晃さんはいうが、音楽への思いを完全に消すことはできず、彼はサラリーマンをしながら、アマチュアとして音楽活動を続けていた。
一方、解散後パブ経営をしていた正男さんも、やはり音楽の夢を捨てられず、再度デビューする機会を狙っていたという。
かつてはサウンドさえ決めつけられ、自分たちの歌いたい曲を歌わせてもらえなかった。
だが、今度は違う。
沖縄に生まれ、アメリカ音楽の中で育った彼ら自身が、
本当に求めていた音楽を演っていくつもりだ。
今、兄弟全員の子供たちを合わせると10人になる。
いつか彼らが「歌いたい」といい出したら、「喜んで応援する」と兄弟全員思っている。
兄弟の結束は20年たっても固かった。
やはりファミリーの血は濃いようだ。
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正男と晃の記事、どうでしたか?
けっこう、フィンガー5引退後の記事を読むのもイイですね♪
AM FINGERSの曲、私大好きなんですよね
この記事が載っていた雑誌、
この掲載の他にも、
フィンガー5のサイン(当時の)が小さく載っていたり、
レコードの写真も小さく載ってたりしていました
百恵ちゃんのことも、載っていました
気になる方は、いつかのフィンガー5グッズをご覧ください。
それでは次回もお楽しみに!