明治天皇の遺言によるものという。すぐ東には皇后である昭憲皇太后伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が隣接してきます。

武天皇柏原陵にもほど近くあります。

墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれています。

上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたようです。




大河ドラマ、『光る君への舞台です。
月曜でしたので、観光客は少なかったです。





宇治神社です。





平等院鳳凰堂です。
本日は中に入っていません。





ほのぼのと春こそ空に来にけらし

霞たなびく



後鳥羽上皇は、『新古今和歌集』作成に生涯をかけた様相です。勅撰和歌集ですが、上甲自ら編纂に努めました。


何度も行ったためか、2000首を暗記したとも言われています。隠岐に流されてからも配流先で、新古今和歌集をさらに修整削除し、いわゆる、『隠岐新古今和歌集』を作成しました。



独眼竜政宗は、江戸時代を生きます。

3男宗信を妻の実家に預けたり、長男秀宗を伊予宇和島10 万石に、5男宗泰を江戸に常駐させて、5万石の独立大名にしたりします。

政宗は、徳川家康が天下を掌握した暁には百万石を貰う夢見ていましたが天下平定後約束を反古にされます。

政宗は、少しずつ、領地を貰えるように幕府に交渉していきます。

息子達を独立大名にして少しでも領地拡大を願っていました。