足利義尚は8代将軍義政の息子です。
11歳で将軍になりますが父義政は院政を敷きます。
義政は応仁の乱の原因をつくった将軍として知られます。
義政はかつて政治から興味をなくして造園や美術に傾倒していったと言われていますが実は違います。
将軍であるがゆえに朝廷へ奏上し、守護大名に官位などを与えました。仲介料として2億円ほど大内氏からもらいました。
ことあるごとに口出し義尚はうんざりしていますようです。
義尚は近江の豪族反抗的な六角氏討伐を決めます。
これは3代将軍義満が明徳の乱で山名氏討伐に赴いて以来百年ぶりの新征でした。
昨日の京都の大衆は若大将を一目見ようと集まりました。
義尚の呼びかけに畠山、赤松、若狭武田氏こぞって集結し六角を撃破し、大敗した六角氏は甲賀に逃亡します。
今の栗東あたりに本陣を置きました。
前線基地に、司令塔を置くまさに、征夷大将軍です。