2015年1月3日『江戸幕府と外様大名。その①』は定期的に読んで頂いています🌱。ありがとうございます。
江戸幕府の大名の配置に関するものです💠
江戸幕府は参勤交代に加え、定期的に大名の領地替えをして、根付かせないようにします。
関東や東海には、『親藩』と呼ばれる徳川、松平一門の大名を配置し、豊臣恩顧の大名は九州や中国地方、東北に領地を替えました。
江戸を本陣に見立てた大名配置は、先鋒として徳川四天王の井伊家をおきました。
彦根は日本列島のくびれに当たります。
越前福井には、松平家(家康の二男秀康を祖とする家)、伊勢桑名の徳川四天王の本多家(後に姫路に転封)が次鋒にあたるでしょう☘️。
『彦根城と井伊家』については
2014年12月25日記事を御覧ください。
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江戸幕府は、伊達や、島津を四国に移そうと考えていましたが反乱や一揆を恐れ、それぞれの本領を安堵しました。江戸から遠い東北や南九州は力のある大名には任せた方がよいと考えたのでしょう。
伊達は戦国末期に最大120万石ありましたが、秀吉による小田原北条征伐前に臣従し、58万石に減らされます。
二男忠宗は父とは違って守成の人と呼ばれ、目立たないように過ごしました。江戸時代 260年で60万石を維持したのはさすがですね。
【この記事は2020年7月14日に加筆修正をしています。2021年1月22日にアクセスがありました】