滋賀彦根市にある佐和山城は名城でした。

かつては織田信長の重臣丹羽長秀が城主でした。


長浜は豊臣政権になってからは秀吉の側近石田三成に与えられます。後に秀吉のブレーン三成は、近江19万石の大名になります。

佐和山城は、『三成に過ぎてる者がふたつあり。島左近と佐和山城』と言われた城です。

関ヶ原の戦後に徳川家康は譜代の重臣で徳川四天王のひとり井伊直政に彦根を与えられます。

佐和山城は廃されて、近江の拠点としては新たに彦根城が築かれます。築城したのは、直政の長男井伊直継です。

西日本から見たときに、関東の入り口にあたるのが彦根城です。戦場にあって常に『先鋒』を務めた井伊家は領国も、『江戸から見て先鋒』として位置付けられたと言われています。日本列島が一番くぼんでいる場所にあるのが彦根であり、豊臣家と戦いになったときに先陣になるの,
は井伊家でした。ここに家康の信頼の高さが、わかります。

直政の子孫に『桜田門外の変』で有名な井伊直弼が江戸幕府の大老になります。

直弼は彦根藩の15代目当主でした。
直弼は別の記事にします。
 
【この記事は2020年7月20日に加筆修正をしています。】






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