武田信玄の軍師山本勘助の言葉です。

「ひとつは、敵の状況を詳しく知り、これを分析する。大事なことは部下に知らせておく。ふたつめは、合戦の勝敗は六分か七分を持って勝利とする。3つ目は、武士として四十才前後は勝つように心掛け、四十才から、先は、負けないように心掛けることが、肝心」と言っています。

現代のサラリーマンにも当てはまる言葉です🍀

30歳代は成果を上げ、40歳代は死物狂いで働くと言うよりは周りを見渡して、と言うことでしょう🍀

山本勘助は若い時代に諸国を武者修行します。
50歳を過ぎてから、武田信玄に仕えます。希望した給料の倍で召し抱えられます。

諸国を歩いた際に毛利元就や大内義隆等の諸大名に関する知識や築城術の知識もあったからでし。40歳代は駿河の今川義元に仕官が叶わず、不遇を囲います。容貌が優れない勘助を今川吉元は重用しなかったようです🍀

上杉謙信との第四回、川中島の戦いで自らの奇策である『啄木鳥戦法』が見破られ、味方の布陣が崩れ、大将クラスが複数討ち死にしたことの責任を取り戦死します。



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