木曽義仲は源頼朝や義経とは従兄弟にあたります。

義仲の父義賢は、頼朝の兄義平と領土問題でトラブルになり、暗殺されます。

このとき、義賢の次男義仲は、2歳。

家来の斎藤実盛によって信濃に落ち延び、土肥兼平によって育てられます🍀


信濃で育った義仲は頼朝の平家打倒に合わせて立ちあがります。

北陸道から京都をめざし、栗伽藍峠の戦いでは牛の角に松明をつけ、平家の大軍を混乱に落としいれます💠。

木曽義仲は、平家を京都から追放し、西国に押しやり、京都に入ります。あまり知られていませんが頼朝より早く、征夷大将軍に就任します。

しかし、義仲の部下は京都で無銭飲食や略奪などの横暴が目立ち、公家からは嫌われます💠



後白河法皇は源頼朝に義仲追討の命令を下します🍀義仲は平家との連携を画策するも万事休す。


現在の滋賀県大津市石山で、源範頼(頼朝の弟)と戦って破れ、自害します💠


義仲側室の巴御前は男勝りの女性でした。


巴御前は義仲の最後まで付き従っていますが、義仲の命令に従い、落ち延びます。

一説によると、後に鎌倉幕府侍所長官の和田義盛の側室になったとも言われます。