平安時代に源氏のカリスマ八幡太郎源義家が書いたと言われる置き文。
そこには、『7代後の子孫に生まれかわり、天下を取る。』と書いてあり、嫡流の足利家に伝わる義家の『遺書』です。
義家から、7代目の子孫にあたるのが足利『家時
』でした。鎌倉幕府の執権は9代貞時で北条氏全盛期でしたので、とても天下を狙える状態になく、家時は思い悩み、
「自らの命を縮める代わりに、3代の内に天下を狙う。」と言って自害しました。
この置き文の存在は近年、疑問視されています。
足利家の嫡男のみがこの遺言を目にしたと伝わりますが、室町幕府を作った足利尊氏(高氏)は次男でしたので、尊氏が目にしたかは定かではありません。
高氏には兄の高義がいて、すでに『足利の家督を継いでいた』ことが判明しています。
しかし、兄は病気で亡くなり、次男の尊氏(高氏)が家督を継ぎます。14代執権の高時には可愛がられました。偏諱『高』を受けているぐらいです。
しかし、兄は病気で亡くなり、次男の尊氏(高氏)が家督を継ぎます。14代執権の高時には可愛がられました。偏諱『高』を受けているぐらいです。
元来、北条家は家格が低く、源氏の足利家を重宝していたと言われています。これは御家人の求心力を高める為です🍀
足利家の当主は代々、『得宗』(北条本家)から妻を迎えています。
足利家の当主は代々、『得宗』(北条本家)から妻を迎えています。
ちなみに足利尊氏も妻は北条一族の赤橋家から来ています。
鎌倉幕府が衰退する中で、『新たな秩序』が求められます。源氏の嫡流足利高氏の台頭です💠
鎌倉幕府が衰退する中で、『新たな秩序』が求められます。源氏の嫡流足利高氏の台頭です💠
(続く)
【この記事は2020年5月6日、2021年4月22日、2022年4月23日、5月31日に加筆修正をしています。】
2022年5月30日に書いた記事のリンクを貼っておきます。
