金色の野辺に唄う
著者 あさのあつこ
一度 春の暖かさを喜んだ後の雨の日。
暇つぶしにと手に取った。
92歳 藤崎松恵の終焉の枕元からのスタート。
もう、目を開ける力もなく横たわっている。意識もなく、呼吸も弱って。と、傍目には見えるが本人には意識があり、庭の灯をつけたように実を付けた柿の木をもう一目観たいと思っている。
10年前、5歳の曾孫が描いた柿の木の絵が気に入って額に入れてかざっていた。しかしその子東真は中学生となり、自分にはあの才能は無いのだと思い絵を描くのをやめていた。
やや家族構成は複雑で、娘が熟年離婚したりその息子も離婚し孫の東真を育てたり。しかし今は息子は再婚して東真も新しい母親と妹と問題なく暮らしている。
危篤状態の曾祖母が柿の木の絵と共に旅立ちたいと願っている事に奇跡的に気づき、再び東真は柿の絵を描く。そして評価でなく自分が好きだから描くのだと、絵にも生きることにも積極性を取り戻していく。
そして松恵は息を引き取り、お通夜告別式とこの3日間の家族の心模様が描かれている。
松恵の娘、東真の祖母である美貌の奈緒子の子どもの頃の思い出と共に、寂しさ、物足りなさ
大人になっても、子ども時代の満たされなかった愛情が元で誠実なだけの夫では満足出来なかった女のしての苦しみ。
60歳を過ぎても、心の奥底に残っているもの。その歳になれば、体は枯れ始め心は丸くなる。そんなものかと思っていたが、まだまた整理しきれないものは残っているらしい。私も何かのきっかけで、満足できなかったものがモヤモヤと出てくるかもしれない。
92歳松恵の葬列。100年近く生きれば、全て枯れ悟り、遺す思いも無くなり、身軽に旅立てると信じていたけど、人間ってそう簡単に軽くはならないものです。と、松恵は感じている。
私はずいぶん欲も無くなり、満足できるようになり、少々の事では腹を立てることもなくなり、なかなか良いわ❗️
と、思っていたが、魂となり空に上がってしまうまではまだまだなのかもしれない。
松恵の死にまつわる現在と、家族も含めての過去が紡がれながらのお話だった。
暇つぶしと読み始めたが、結局夢中になって読了した。
