思い出話「アナウンサーになりたい」「だめだ」 | 魂の望みのままに新しい時代をつくる

ふと思い出した。亡き父との会話。
  
幸「アナウンサーになりたい」

父「アナウンサーはだめだ。なるならキャスターになれ」

幸「キャスターって何?」

父「筑紫哲也みたいな人」

幸「おっさんじゃん」

父「アナウンサーは人が作った原稿を読む人。キャスターは自分の考えを話す」※違う定義があるのは知ってますが、ココは父の定義のまま進めます

幸「アナウンサーだってリポートしたりアドリブ言ったり、原稿以外のお仕事もあるよ」

父「役割は役割。アナウンサーはだめだ」
  
  
あっけなく散った中1の夢。
  
  
父の言うキャスター……自分の考えを話すだなんて、固める反射バリ強のわたしには、ありえない仕事だった。

  
しかし父は
わたしの本質を見ていたのかもしれない。
  

独立当初は、
人が作ったテキストでの
セミナー・研修の講師の仕事も
請けてはいたけれど、しんどさを感じ……

全面的に断るようになった。


オリジナルしかしない。

もう、進行の決まったセミナーは
依頼も来ない(ギャラがあわないのも
あるけど)。
  


  
わたしは、
研修やシナリオを創る方が面白い。  

企業のコンサル、個人のコンサル、
自分の講座、いくらでも企画できる。




わたしは、伝えたいことがいっぱいだ。
  
ブログを書く。コラムを書く。本を書く。
天職部をする。研修をする。
コンサルをする。作詞する。歌う。
質問会、イベントを開く。
  





父の言うとおりだったな。
  
  


考えを話すなんてありえないと
思っていたけれど、

あのころから、
「声を届けたい」という想いは
あったのかもしれない。
 



父とのやりとりは、
放送部とバレー部かけもちしていた
中学時代の話でした。



小学生のころは、
音読が大好きで、教科書を
何度も何度も読んでいた。


バスのアナウンスや
高校野球のアナウンスの真似をして遊んだ。


中学時代は、放送部。

 
話す訓練は、知らず知らずのうちに
していたんだなぁ、と思う。



わたしの話から天職を学ぶという
異色の回。よかったら、見てねー
天職部37_マイストーリー
~ターニングポイント~