近江八幡をつくった秀次公430回忌特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」 | 近江八幡 いけばなと着付け 十一色の花小路日記

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近江八幡市にて
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こんにちは
滋賀県近江八幡市 いけばなと着つけ 『十一色の花小路』
川村節子です。

 

本年は 近江八幡の町をつくった 豊臣秀次公の

430回忌にあたる年です。

 

その節目の年ということで 京都国立博物館では 今

このような特集展示がされています。

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近江八幡市は 今から438年前 1585年に その豊臣秀次が

八幡山の山頂に 八幡山城を築き、ふもとに城下町を作りました。

歴史上のビッグネームが出てくる近江八幡。

豊臣秀次は 豊臣秀吉の甥(秀吉のお姉さん・ともの方の長男)にあたります。

 

近江八幡の城下町は 1582年本能寺の変での織田信長亡き後、

廃城となった安土城の城下町の人と町を一緒に持ってきて

それを元に城下町を作りました。

 

秀次は秀吉の養子となり関白にもなりましたが、

秀吉に実子・秀頼が生まれると疎まれるようになり

謀反の罪を着せられたことなどで 近江八幡を開いてわずか10年後

1595年に高野山へと追放され、切腹を命じられました。28歳でした。

 

ただし最近では 追放までは秀吉はしたけれども

切腹は命じていなかった、 むしろ 秀次の切腹こそが

最後の最後 秀吉への謀反にあたる気持ちの行為だったのではないか

という説もあります。 いずれにしても 秀次は無念には違いありません。

 

やがて京へと運ばれた秀次公の御首は 刑場の土壇の上に据え置かれます。

 

時代のこととはいえ むごいことです。

が さらにむごい悲劇が続きます。

 

同年 8月2日、京都 三条河原での悲劇ですが

亡き秀次公の一族、 つまりこどもたち(4人の若君と1人の姫君)

そして正室 側室として仕えた美しい女性たち 34人

合わせて39人は 秀吉に命じられて

市中引き廻しののちに

次々に 命を絶たれて殺されてしまいます。

 

さらに その方々の遺骸は すべてひとつの大きな穴に投げ込まれ

大きな塚となって築かれ その頂上に秀次公の首をおさめた石櫃を据えた

というのです。

 

それから 時がたち

1611年 ときの京都の豪商 角倉了以は 高瀬川開削工事を進めるにあたって

その「塚」に参拝しようとしたものの

塚は 加茂川の重なる洪水によって壊れ 草に埋もれていたそうです。

 

以前から 秀次公と一族に 深く同情していた角倉了以は、

瑞泉寺の開山上人となる 立空桂寂和尚とともに 荒れた墓域を整理し

秀次一族の菩提を永く弔うためのお寺を建て、

山号は 高瀬川を往来する船にちなんで 慈舟山として 寺名は

秀次公の法名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」(これは京極誓願寺の住職が贈ったもの)

からとって 瑞泉寺とされたとのこと。

 

そのような 結縁のある 秀次公と瑞泉寺の 特集とあらば

 

お出かけせねばなりませんベル

 

近江八幡ボランティアガイド協会の 研修部さんが 研修を企画してくださり

揃って 研修に5日㈮ お出かけします!!

 

歴史好きの皆様  お出かけされてみては照れ

 

 

 

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