2025.06.某日 晴れ 暑い

神崎遺跡資料館 無料(神奈川県綾瀬市)
勾玉作り 200円

目次
・おにぎりは遠く…
・海老名駅
・神崎遺跡公園
・自戒、名を名乗ろう!
・勾玉作り
・神崎遺跡のジオラマ
・大量消費と大量生産
・おにぎり、食うぞ!

・おにぎりは遠く…
起きるのが遅くなったため、出発がかなり遅れた。カップスターの塩味をすすり、自転車で駅へ向かう。途中のセブンイレブンでおにぎりを買おうかと思っていたが、今日は珍しく天気も良く、近所のテニス場でテニスの試合があるようで多くの客がレジに並んでいたため、買うのを諦め駅へ向かった。時間があれば海老名駅で、最悪神崎遺跡公園の近くのコンビニで買えばいいや…とその時の私は思っていたが…。

・海老名駅
海老名駅の東口の6番でバスを待つ。目の前の階段の上の売店に「おにぎりあります」という横断幕が見える。バスが来るまでには20分近く時間があったので行ってみると、どこにもおにぎりがない。店員がいたので聞くと、もう全て売り切れたらしい。そこまで暑くもなく、晴れた土曜日で人がかなり出ているので売り切れでも仕方がない。駅構内のコンビニは西口側だが、バスの時間を考えてここでおにぎりを買うのは諦めた。バス停で待っていると、暫くしてバスが来たので乗り込む。ちなみに、神崎遺跡公園は海老名駅と小田急江ノ島線の長後駅の間にある。

・神崎遺跡公園
日が出ているうちに、神崎遺跡公園の復元された竪穴式住居を見る。この遺跡では、弥生時代の18軒の竪穴式住居跡と、それを取り囲む環濠(かんごう)という堀が発見されていて、その18軒のうち同時期に存在したのは15軒ほどのようだ。その中で、復元されている住居は2軒。2軒とも、東海道新幹線の方角を向いている。この竪穴式住居が最初に復元されたのは平成29年度(2017)らしい。その後いつどのようにメンテナンスされていたのかは不明だが、本町田遺跡の竪穴式住居よりはちょっとボロい。青いビニールシートが見えてしまっているのが、残念だ。経年劣化かあるいは風が強いせいか。本町田遺跡の縄文時代と弥生時代の復元竪穴式住居と比べると、ここの住居は玄関に対して横長で、東日本のものは玄関に対して縦長の住居が多いそうだ。竹が多く使われているのも特徴的だ。梁や棟押えなどに竹が利用されている。同遺跡の土器捨て場から鉄鎌が発掘されており、この鉄鎌で竹を割ったりしていたのだろうか。復元された竪穴式住居を、私はここの他にはまだ本町田遺跡のものしか見ていないので私の中には比べられるものがあまりない。ここの竪穴式住居は、玄関が閉まっていて中は見られない。資料館にあるお手洗いは公園側と資料館側と両方に扉があり行き来できる。お手洗いの個室の中のタイルが虹色できれい。さて、じゃあ最寄りのセブンイレブンでおにぎりを!と思って歩き出したが、時計は12:54。行って買って帰って来て、食べる時間はないだろう。回れ右で神崎遺跡公園へ戻る。私、もしかして、おにぎりに転がされてる…!?

・自戒。名を名乗ろう!
資料館には象徴的な土器として、ルビンの壺のような盃のマークが描かれている。
中に入ると、入口にそこそこ大きい昔の原寸大ピカチュウぬいぐるみのような丸々とした弥生時代の壺が展示されている。受付から出てきた職員さんに促され、奥の視聴覚ルームで映像を見せていただいた。多分カワセミがモデルの綾瀬市のキャラクター、あやぴぃが旧石器時代から現代までの綾瀬市の歴史を紹介する。カワセミは飛べるはずだが、飛行式のタイムマシンに乗り、タイムトンネルを使って過去へ行く。映像を見終わった後、職員さんに促されて2階に行くと、右側にテーブルがあり、勾玉作りセットが置いてある。しかし、職員さんが来ない。スマホを見ると、2分前に神崎遺跡資料館からの着信が入っている。1階に降りて受付で名乗ると、職員さんは私が電話予約した本人だとわかっていなかったようだ。受付でちゃんと名乗らなかった私が悪い。

・勾玉作り※
2階の体験スペースの前には、誰かが体験で作ったらしいミニチュアの土器が置いてある。体験スペースの壁にはたくさんの写真や資料が貼ってある。説明によると、「出土土器の95パーセントが、東三河・西遠江地域(現在の愛知県東部から静岡県西部にかけての地域)に見られる土器の形に「そっくり」(綾瀬市HPより)」ということで、愛知県の「あいち朝日遺跡ミュージアム」で取材したことなどがまとめられている。早速、勾玉作り体験をする。勾玉作りは幅60cm奥行き35cm高さ10cmくらいのトレイの中で行う。横4cm縦4cm高さ1.5cmくらいの四角い滑石が材料となる。道具は、まずカッターマット、鉛筆、キリ、紙やすり3種。まず、鉛筆で下書きをする。下書きでは、勾玉の出来上がりサイズには関係なく、石の大きさ目一杯に大きく描く。穴にする位置を決め、穴を開ける際に石が割れないように端から離れた中央に近い位置に鉛筆で下書きをしする。キリで穴を開ける。作業場を囲んでいるトレイの手前に石を押し付けて固定し、キリを真っ直ぐ立てて上からハンドタオルを置き、手のひらで押し付けながらキリを回して穴を開ける。地味にしんどい。穴が空いたら紙やすりを机に置き、尾の部分以外の石の角を削る。手首のスナップを利かせて削ると丸く削れるらしい。その後、金属製のヤスリで溝を作り、半円形ヤスリで溝を広げながら勾玉の尾を作る。

・神崎遺跡のジオラマ
2階に行くと、弥生式土器や神崎遺跡の環濠集落の当時の様子を表したジオラマや土器などが展示されている。部屋の中央に神崎遺跡の環濠集落のジオラマがある。このジオラマでは、溝に囲まれた環濠集落の中には、ミニチュアの竪穴式住居が12軒再現されている。木が環濠集落の外側と環濠集落の内側にまばらに生えている。ここには弥生人のミニチュアはない。公園に再現されていた実寸大竪穴式住居は横長の四角形だったが、ここの小さな12cmくらいのミニチュア竪穴式住居は縦長の楕円形だ。ミニジオラマの前の床面には、東海地方から船で弥生人がここの地域まで移動する様が展示されており、ボタンを押すと地域のランプか光るようになっている。3つの壁際には、説明パネルと土器と、奥には原寸大の環濠、もう少し大きなジオラマが展示されている。この地域にはもともと人が住んでおらず、その後もごくわずかな間しか人が生活していなかったようだ。奥の少し大きなジオラマには、いろいろなことをしている人々のミニチュアが置かれている。貝殻などを捨てる人、臼と杵で脱穀する人、収穫物を運ぶ人、立ち小便をする子供もいる。竪穴式住居の半分の骨組みが見えていて、囲炉裏を囲み飯を食う人々の姿もある。縄文〜弥生の村のジオラマには、だいたい犬もいる。人と人との関係性はいつ切れるともわからない危ういものだが、犬だけはいつでも人間の友達だ。

・大量消費と大量生産
並べられた土器について、なぜ土器が運ばれてきたものではなく人々が移住したとわかるのか?説明されている。出土した土器のうち95%が東海地方の土器の形をしていて、土器に使われた土が綾瀬市の土であったことから、東海地方から人々が移り住んだ証拠としている。弥生土器はわりとシンプルな形状をしている。合理的とも言えるかもしれない。縄文土器やら縄文土偶は赤茶色に焦げ色というイメージで、弥生土器は縄文土器に比べると薄い橙色なのはなぜなのだろう。焼き方に違いがあるのだろうか。縄文人と弥生人、ルーツも文化も違う人々でもあるが、装飾的なものが流行った後に非装飾的なものが流行るということは、現在でも往々にしてある。時代を経るにつれ、流行り廃りは速度を上げてゆく。現代のTikTokやXなどの流行りは、その日限りであったり、場合によっては数時間で終息する。それは、モノの生産と消費の速度に比例しているのだろうか?あるいは、人間の数、社会の大きさに比例するのだろうか?古の人々は平均寿命が現代人よりもはるかに短いにも関わらず、ものすごい時間をかけて建築物や物を作っていたりする。現代人が一日に摂取?する情報量は平安時代の16倍とも言われる。暮らしは便利になったのに、人々は忙しさからは解放されていない。稲作はとても時間と手間がかかる。
のんびり土器を作っている暇がなかったのもあるだろう。大量生産大量消費時代の幕開けだ。社会に階級ができてくると、上の階級の者たちの富を作り出すために下の階級の者たちは常に働かねばならなくなる。そして、そのヒエラルキー構造を保持するために人間を増やし続けなければならなくなる。人口増、多子化社会は人間にとって必ずしも幸福なものではない。大量消費のために物を作り続けなければならなくなるし、そのために地球上のあらゆる自然物を削り続けることになる。人の人生すらも消費の対象となる。そして、その挙げ句に、下の階級の者たちの中で働けなくなった者に死を強いることになるのだ。

ネットで調べると、体験教室はほとんどが子供や親子連れ向けのものばかりで成人で勾玉作り体験をさせてくれる施設はかなり少ない。調べれば調べるほど、子連れ以外の成人お断りの所が圧倒的に多く、今回も、よく断られなかったな…と思えるほどだ。成人でも勾玉作りをさせてくれるのは本当に稀有でありがたいことなのだと改めて思う。何か体験したいことがあっても、子供にはもう戻れないからね。


・おにぎり、食うぞ!
セブンイレブンまでの道は上り坂になっているせいか、やはり遠く感じる。地元の子供たちは、集団で自転車に乗って走ってゆく。近くに大きな公園があるからか、コンビニもけっこう混んでいる。子供たちの遊ぶ本郷ふれあい公園では、芝穫りをしていて、青臭いにおいが爽やかだ。おにぎり2つとお茶を購入し、神崎遺跡公園に戻る。当初の予定どおり、復元された竪穴式住居を眺めながらベンチでおにぎりを食べる。ツナマヨの手巻きおにぎりは三角形、横から見た竪穴式住居の屋根の形であり、山の形だ。そして、もう一つ、わかめご飯のおむすびは円形、竪穴式住居の中から見上げた空の形。ちなみに、ここ、神崎遺跡公園の竪穴式住居は上空写真では長方形。この間の町田の縄文遺跡、本町田遺跡公園の竪穴式住居は上空写真では楕円形をしている。玄関に対して家の形が縦長か横長か。ところで、セブンイレブンのわかめご飯おむすびは初めて食べた。わかめご飯といえば、混ぜご飯の元を混ぜ込んだような、ペラペラの濃い緑色の細かいわかめに少しの塩味が効いたもので、小学校の給食にも出てくることもあり、子供の頃からけっこう好きなご飯だ。しかし、セブンイレブンの「わかめご飯おむすび」はその、私のイメージする「わかめご飯」ではなかった。三陸産の、茎わかめのような分厚いわかめが少し大きめにザクザク入っている。とはいえ、これはこれで、美味しい。風はわりと強く、どこからか牧畜のにおいも漂ってくるが、それさえもすぐに風に飛ばされ過ぎ去ってゆく。公園の柵の向こうを見下ろすと、眼下に畑が見える。遠くに東海道新幹線が走っていて、清々しい。弥生時代、人々は海路によって東海地方から遥々ここへ移り住んだ。今は、新幹線が東海地方と関東地方を結ぶ交通手段となっている。この新幹線は、かつてここに暮らした人々のいた、東海地方へ走って行くのだ。竪穴式住居の上空を厚木航空基地から来る戦闘機が飛ぶ。その音は、なんだか重々しく憂鬱だ。それなりの高台なのかと思っていたが、ウィキペディアによると海抜24m、台地との差は11m程度らしい。バス停でなかなか来ないバスを待つ。
グーグルマップで地図を見ると、神崎遺跡公園は海老名駅と長後駅のちょうど真ん中にある。確か、02.19に行った「はだの歴史博物館」も秦野駅と渋沢駅のわりと真ん中にあった。