2025.07.某日 曇りのち晴れ 暑い(最高34℃)

【友人たちと田名向原遺跡・新石器ハテナ館で勾玉作り】

・旧石器ハテナ館
体験教室 勾玉作り(2時間) 300円

目次
・海老名と海老名
・さっそく!勾玉作り!
・馬とか土器とか
・お昼は中華!
・旧石器時代人の暮らし
・二万年前!?住居遺構
・日本一小さい?復元竪穴式住居模型
・黒曜石の使い道
・古墳出土品
・不眠不休で99時間!?
・田名向原公園とアイス

・海老名と海老名
体験予約は毎月1日から受付開始だが、1日に電話をしたら午後の部が空いていなかったので、友人たちの予定を聞くため一度電話を切り、LINEで連絡事項を送った。その後、残る午前の部を取っておいたほうがいいと言う話になった。私はちょうど出かけるところだったので予約を友人に任せ、予約は友人がしてくれた。田名向原遺跡までは電車でそこそこの時間がかかるため、当日は早起きをした。前日は早く布団に入ったが、どういうわけか眠れず…。当日は6時に起きてカップヌードルを食べ、電車内で友人と待ち合わせる。無事合流。友人は転職してから仕事が忙しくグロッキーになっていたので、ある日車窓の田んぼの風景を見て「あっ…、もう田んぼに水が入ってるんだ」と気づき人間に戻ったらしい。水分補給して、そんな話をしながら海老名乗り換えで相模線原当麻へ。小田急線海老名駅は昔はよく来ていたが、JR海老名駅がこんなに離れているとは知らなんだ。友人は知っていたらしく、事前の打ち合わせで乗り換え時間を長めに取っておいて良かった。原当麻からのバスは一時間に2本しかないため、それを逃すと大幅に遅刻してしまうのだ。原当麻の駅は、まぁよくある田舎駅だが、目の前にはショッピングモールがある。しかし、地元の人は車でしか来ないらしく、原当麻で降りる人は少ない。
バス停を降りると、そこは住宅街。もうすでにけっこう暑い。グーグルマップを見ながら歩いて行くと、ドアに暑さ避難所(クーリングシェルター)のシールのある旧石器ハテナ館の裏口が見え、私達は吸い込まれるように館内へ。

・さっそく!勾玉作り!
館内でお手洗いを済ませたり、模造土器などを見ていると、職員さんが声をかけてくださったので、体験教室に入り、さっそく勾玉作りを体験!
勾玉作りキットを使う。
使うもの
・滑石
・金属ヤスリ 幅広平
・金属ヤスリ 中細カーブ
・紙ヤスリ 粗め・細かめ
・つるピカシート
・深めのお盆
・水用の浅い容器
・マスク
勾玉作りキットの滑石は穴がすでに空いており、ある程度勾玉の形をしている。勾玉の型紙を用いて石に完成図の勾玉を鉛筆で描き、金属製の平ヤスリで削る。頑張って削っているとあっという間に一時間は過ぎる。前に綾瀬市の神崎遺跡資料館で勾玉を作った時は、スタッフの方がだいぶ手伝ってくれた。確かに、自分でやっているとだいぶ時間がかかる。しかし、無心になって作業するというのは、心が落ち着いて良いことのような気がする。ここの勾玉の良いところは、たった300円という値段でありながら、地域の工芸品として津久井で生産されている色とりどりの津久井紐を選ばせてもらえるところ!私は、この勾玉作り体験については復元竪穴式住居を探している時に見つけた田名向原遺跡公園に隣接する旧石器ハテナ館のホームページで知った。その旧石器ハテナ館のホームページでは体験教室の概要がPDFのチラシになっており、それをスマートフォンで見て予約したため勾玉の写真は小指の爪より小さいものだった。なので、こんな美しい紐を選ばせてもらえるのは、今日行って見本を見て始めて知った。しかも、紐留めのガラス玉はこの旧石器ハテナ館で作っているもので、職員さんが作ったものから紐に合った色や模様のものを選ばせてもらえる。この津久井紐は地元津久井の工芸品で40本近い糸を組んで作る。一本の紐に3色や4色の糸が組み込まれていて、すごくお洒落できれい。色合いは、水色に薄紅と白、紫に薄紅と白、赤に黄色と緑など様々。紐を選んだら、ガラス玉を選ぶ。ガラス玉も、模様のあるもの、気泡の入っているものなど、オレンジ、赤紫、赤と白、透明の中に青緑、黄色、青など様々で可愛らしい。私は紫と薄ピンクと白の日もに黄色のガラス玉した。黄色のガラス玉は勾玉の上に繋げると、勾玉が天使の輪を乗せているように見えて可愛い。友達Hは赤と黄色と緑の紐に、透明と青緑色のガラス玉で、友達Mは水色と白薄ピンクの紐に、赤紫色のガラス玉。どれもそれぞれ個性があって可愛い。今日誘った、いつもお洒落にしている友達も気に入ってくれて嬉しい。

・馬とか土器とか
トイレの前の廊下のテーブルには、模造品の縄文土器や土偶、馬の埴輪などがズラリと展示されている。これが、なかなかデカくて立派。手慣れた感じがある。壁には写真で焚き火で焼いた様子が展示されており、焚き火でこんなこんがりとしたきれいな赤茶色が出ると思うと不思議だ。その他、縄文土器の模様をつける縄や貝などの模様を押しあてて試してみるコーナーや、展示室にある真脇式土器のパズルなどが展示されている。友達が私がトイレに行っている間に真脇式土器パズルをやっていたので、私も友達がトイレに行っている間に真脇式土器パズルに挑戦した。意外と難しい。発掘作業員たちは、これのもっと複雑なやつを立体パズルでやっているんだなぁ。

・お昼は中華!
勾玉作りが終わったので、予定通り一度外に出て昼飯を食べることにした。事前に調べておいた、火焰山という中華屋に行く。友達がグーグルマップを見ながらナビしてくれたので迷わず着くことができた。中はそこそこ賑わっている。タブレットでメニューを見て決める。私は大蒜叉焼炒飯、友達Mはレバニラ定食、友達Hは半ラーメンと餃子とのり明太丼。友達MがLINE登録のクーポンを使ってくれたので、餃子を一皿頼んだ。大蒜叉焼炒飯は、大蒜がわりとそのままゴロゴロ入っていて美味しい。餃子も、韮がたくさん入っていて美味しかった。

・旧石器時代人の暮らし
展示室の入口には、旧石器時代の人々の等身大ブロンズ像が並ぶ。入口すぐ横の成人男性は黒曜石をつけた槍を持っており、その前に立つと狩られる猪の気分が味わえる。足元には鹿革のブーツが置かれている。この時代は気候が寒冷で、オオツノジカやナウマンゾウやバイソンも生息していた。日本に巨大哺乳類が生息していたと思うと感慨深い。タイムマシンがあったら見てみたい光景だ。ブロンズ像は、男性の他に樹の実を拾う子供や女性もいる。

・2万年前!?住居遺構
ここらへんの地域は、旧石器時代・縄文時代・古墳時代・奈良時代の遺跡が発掘されている。弥生時代の遺跡がないのは、高くなった台地では水を引くことができないため、水田稲作をするために人々が下流域に流れたためだという。
旧石器時代(20000年前)の住居跡らしき遺構が発見されている。その住居の復元模型が館内には展示されている。復元模型を見ると、太い丸太を柱にそれより細い丸太を組んでサーカステント状(?)にし、何枚もの鹿革で覆って住居にしている。この遺構は、礫(大きめの石)で囲われた直径10m程度の遺構で、縄文時代の一般的な竪穴式住居などに比べるとかなり大きい。中央には炉の跡が2つある。しかし、ここだけの話だが、旧石器時代の建物遺構の復元は少し怪しいという。この復元住居は大きな丸太をたくさん使っているが、石斧が発見されていないそうだ。しかし、遺構には確かに柱を建てた跡と思われる穴があるので不思議だ。

・日本一小さい?復元竪穴式住居模型
古代遺跡施設あるある(?)のジオラマが展示されている。展示室中央には大きなジオラマ、壁側には発掘調査を再現した小さなジオラマが発掘調査の過程順に展示されている。発掘調査の様子をジオラマにしているのは珍しい気がする。壁面のパネルを読み、すぐ下のジオラマを見るとミニチュアの発掘作業員が発掘をしている。発掘、お疲れ様です!発掘しているシーンのジオラマでは、発掘作業員の頭の中を再現したのか、半分は旧石器時代のジオラマになっている。こちらでは現代人が発掘作業を、あちらでは古代人が石器作りの作業をしていて、同じ空間に2つの時代が併存しているのが面白い。中央の大きなジオラマは、古代の集落や古墳の再現ではなく、現代のこの辺一帯のジオラマなので住宅街が再現されている。もちろん、この旧石器ハテナ館の建物もあり、道路を挟んで隣の田名向原遺跡公園には、復元竪穴式住居も、おそらく日本一小さいであろう1.5cm四方のミニチュアで再現されている。

・黒曜石の使い道
内部からは多くの石器と黒曜石加工品が見つかっている。その総数は3000点近い。特に黒曜石の加工品が多く、その数2357点(リーフレット3参照)。黒曜石の産地は長野県蓼科のものが最も多く、静岡県天城、神奈川県箱根、長野県和田、栃木県高山など多くの産地の黒曜石が見つかっている(リーフレット3参照)。発掘された黒曜石加工品が壁面にズラリと展示されている。小さなものが多く、槍の先につけ、かつては川を遡上していたサケなどの魚類を仕留めるのに利用したと考えられている。旧石器時代の住居跡から推定されたこの建物は、近辺の黒曜石を集めて加工するためのものだったのだろうか?模型では、住居の半分の鹿革が剥がされ、骨組みの中で一人の男性が黒曜石を加工している姿が見えるようになっている。黒曜石を鏃に加工するには、慣れた人でも一つにつき30分はかかるらしい。モニターで黒曜石加工の様子が見られる。太ももに鹿革を敷き、その上で鹿の角を使って黒曜石を加工している。いただいた黒曜石は北海道産のもので、今は人家族しか黒曜石を採掘している家はなく、跡継ぎもいないそうだ。北海道産の黒曜石は、黒曜石ならではのあのスモーキーな半透明の黒色と、鉄分による赤茶色との斑模様になっている。館内には、この北海道産黒曜石の原石が展示されている。持ち上げて重さを予測する。友達Mは、体感8kg、私は自分の鞄が4.3kgほどなので、黒曜石の原石は7kgと予想。最後に、友達Hが持ち上げる。5kgほどと予想。正解は〜………5.3kg!友達Hの圧勝だ。やはり普段から仕事で米袋を持ち上げている人間は違う。黒曜石はガラス質なので、捨てる際は燃えないゴミ。滑石の粉は産業廃棄物だそうだ。黒曜石や滑石の粉は、石を原料とする岩絵の具の材料になる。岩絵の具は高価なため、ドリップコーヒー一杯分で800円ほどするそうだが、ここでは女子美術大学の相模原キャンパスが近いため、日本画の先生がこの旧石器ハテナ館から出た滑石の粉や黒曜石の粉を岩絵の具の材料として再利用しているそうだ。エコでWin-Winなので言う事なしだ。

・古墳出土品
この地域には古墳が14個あるそうだ。
この場所は土壌が酸性のため、残念ながら人骨は朽ちて発見されていない。その分、田名向原遺跡公園に移設された古墳からは鉄剣やガラスビーズのネックレス?や水晶加工品のブレスレットなどが出土している。ブレスレットは、水晶を大きめの算盤カットにしたものと、石玉やガラス玉を通したものがある。石玉のブレスレットは、いろいろな石やガラス玉が使われている。白いものはソーダガラスで、当時日本には加工技術がないため外来品と思われる。青緑色のガラス玉や、茹でたコーンのような色の玉もある。ネックレス?は青緑色のつや消しの不揃いなガラス玉を連ねたもの。東大寺ミュージアムでも似たような青いガラス玉を見た記憶がある。また、耳環(じかん)という大きめな金属の輪のピアスもある。これは、現代と同じように銅の輪に銀メッキを施したもの。メッキって、こんな時代からあったのかぁ。※大きな須恵器の甕も展示されている。説明してくださった職員さんの話では、「甕(かめ)」と「壺」の違いは、一番太い胴の幅が口よりも太いのが「甕」、胴の幅が狭いのが「壺」なのだそう。近代では「甕(かめ)」は、江戸時代あたりでは棺桶として利用され、昭和中期頃まではボットン便所の肥溜め用の便槽として利用されていたため、イメージがあまり良くなく、「甕」という字はあまり使われなくなっているらしい。この須恵器のかめはかなり大きく、中に何が入っていたのか気になる。割れているため中が見られるようになっていて、中に何かを押し当ててできたような◎の模様が全面に渡ってあり、どのような製法なのかネットで調べたところ、粘土内の空気を抜くため「あて具」という道具を押しあてた跡らしい。鉄製の直刀や鏃(やじり)も展示されている。出来立ての頃はピカピカに磨かれ美しく光っていたであろう鉄剣は、永い時間の中で赤茶けた焦げたパイのような姿になっている。東京国立博物館が所蔵展示している、鳥と魚の象嵌で有名な国宝「銀象嵌銘大刀」も鉄剣で、発見当時磨いたら、鳥と魚と文字が出てきて仰天!!!という経緯だった気がするので、このような鉄剣も磨いたら違う情報が隠れていたりするのだろうか。ちなみに、前の日記を読み返したら、はだの歴史博物館に行った時も私はこの話をしていた…。それしか知らんのよ鉄剣…。

※須恵器
後日、陶芸の先生に須恵器と縄文・弥生土器の違いについて伺ったところ、須恵器は還元焼成で、松の木を燃やして出る大量の煙で窯の内部から酸素を無くして焼き上げるらしい。そのため、須恵器は粘土自体からも空気を抜くように内側からよく叩いて作られている。縄文・弥生土器は有酸素で焼くため粘土内の鉄成分が酸化し錆びた鉄のような赤茶けた色になるが、須恵器のように還元で焼いた場合は粘土内の鉄分が酸化しないため、錆びる前の鉄(鉛色)になり、さらに強度も増すようだ。

・不眠不休で99時間!?
縄文土器もある。四方に十字形に触手の延びた独特の形状の真脇式土器は相模原市の文化財に指定されており、他の土器よりも厳重にケースに展示されている。細いストローを半分に切ったようなもので押したような細かい紋様が縁取られている。私が想像するように細いストローを押しあてて作ったとしたら、スーラの点描画じゃないが、手首が腱鞘炎になりそうだ。実際はどう作ったのだろう。この真脇式土器は石川県能登市真脇遺跡で多く出土しているそうで、直線距離で500kmも離れた集落との交流があった可能性が示唆されている。ちなみに、ここから真脇遺跡までは不眠不休で歩いて99時間らしい。その他の土器は展示室順路の最端に展示されている。(神奈川新聞2018.10.09の記事https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-37322.ht)l縦長の土器は仏壇の花瓶には大きく、傘立てには小さい微妙な大きさ。鍋にするなら、せいぜい2人か、乳飲み子1人と大人2人分くらいしか調理できなさそう。口が広くて丸い大きな甕はメダカを飼うのにちょうどいいサイズ。その他、胡桃型土器という胡桃に似せた形の土器が珍しい。職員さんの説明によると、勝坂遺跡にも胡桃型土器があり、こちらはオニグルミで、この胡桃型土器も勝坂遺跡の胡桃型土器も、胡桃型とは呼ばれているが必ずしも胡桃を形どったものかどうかはわからないそうだ。これらの文化財は、文化庁の「文化財オンライン」(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/286750)で写真を見ることができる。

・田名向原遺跡公園
田名向原遺跡公園は旧石器ハテナ館の正面入り口の目の前の道路を渡ったところにある。バス停から来ると、旧石器ハテナ館の裏口から入ることになるので、正面入り口から外に出る。正面入り口には、旧石器ハテナ館のキャラクターたちの人形が不二家のペコちゃんのように並んでいる。ハテちゃんもテナちゃんも同じ人のデザインなのだろうが、なんとなく作風が異なる。道路を渡って田名向原遺跡公園に入ると、移築された古墳が目の前にある。今日は古墳の扉は閉まっていた。その古墳の目の前には小さな竪穴式住居が復元されている。まず、入口がとても狭い。中は、1人か、せいぜい2人がギリ生活するくらいのスペースしかない。炉にはクリの実が焚べてある。入口は竪穴にそって坂になっており、身長の低い私ですら屈まないと通れず、中央に柱があるためかなり入りづらい。友達と中に入ってみると、外は炎天下で焼けたアスファルトも相まって34℃以上はあるというのに、かなり涼しく27℃くらいでちょうどいい。竪穴式住居の周りには栗の木が植えてあり、まだ青い栗の実がなっていた。この竪穴式住居跡では、深鉢形土器や石斧、叩き石、磨石などが出土している(リーフレット2参照)。公園の左側に旧石器時代の住居遺構があり、礫や柱の位置などがコンクリートで再現されている。向こう側には旧石器ハテナ館が見える。

公園の向かって斜め左側の道路を渡った所にセブンイレブンがあり、そこでアイスを買う。私は、電車内に広告があり話題にしていたガリガリ君リッチパイン味を購入。バスは16:00台がないため、アイスを食べながらバス停へ向かう。今日はみんな日傘を持って来ていたが、バス停には日除けがないため日傘を持って来て本当に良かった。