=松山歩兵第22連隊兵営全景

 

近代日本においては、徴兵制度が施行されていました。

その中で、ある地域に駐屯する部隊に、同じ地域の人々が入隊して、それが明治から昭和にかけて続くということが全国各地で起きました。

愛媛県松山に衛戍していた歩兵第22連隊には、一部細かい変遷がありましたが、概ねおなじ愛媛県に本籍をもつ人々が入隊していました。

この部隊は、日清戦争・日露戦争・シベリア出兵・第1次上海事変・第2次上海事変・太平洋戦争の沖縄戦(この当時は山第3474部隊と呼ばれていました)と近代日本が戦った主要な戦争・事変に参加しました。

 

1937年8月に勃発した第2次上海事変にも参加しましたが、当時は「永津部隊」と呼ばれました。

1937年8月から1938年3月までの間に、この部隊に所属していた900名以上の軍人・軍属が命を落としました。

 

彼らについてExcelにリスト化する作業を行なっていましたが、入力後の確認が終わったので、今回記事にしました。

 

彼らは自らが生まれた時代の中で、自らの生活や私情を捨てざるを得ませんでした。

結果、命を落としたり、傷ついたり、病に冒されたり、あるいは元気で帰ってきたりしました。

彼ら一人一人の名前や顔を知ることは、この時代に対する具体的な想像を試みる上で、重要なことであると考えます。

 

この考えに基づき、歩兵第二十二連隊関係者の写真を収集して、適宜掲載していきたいと考えています。

これに関しては、現在手持ちの資料からある程度確認できていますが、今回の戦没者全体をみた場合、総数のうち2割も集まっていません。

この記事をご覧になったご遺族の方や、情報・資料をお持ちの方がいて、もし差し支えなければ、コメントまたはご連絡くだされば幸いです。

 

https://twitter.com/mt2ym2

 

写真収集割合

記事作成時点:15名/124名

2024年5月現在:41名/124名

2024年6月1日現在:61名/124名

2024年8月13日現在:71名/124名

8/19現在:77名/124名

戦没者名簿

兵科官等級(死亡進級後)、姓名の順で掲載します。

なお死亡進級後であるため、将校、准士官、下士官、兵ごとの人数は正確ではありません。(伍長とある者は、死亡時上等兵なので、実際の下士官と兵の死亡者数は大きく変わるはずです)

死亡前の階級が確実に示された資料をあたれていないので、把握できた時点での階級を採用して算出しました。

この記事の最後に、死亡区分ごとの日別人数を算出した表を載せておきます。

 

1937年(昭和12)8月25日

34名(将校1、下士官17、兵16)

中華民国

陸軍歩兵少佐

 

=高木佃

 

陸軍歩兵軍曹

=浜遊正一

 

陸軍歩兵伍長

 

=津田末広

 

=西原鶴一

 

=伊賀理森

 

=渡邊有満

 

=山内利明

 

=村田住久

 

=矢野勇

 

=渡邊稔

 

=井上朋秋

 

=高橋千治

 

=菊地嚞

 

=小泉勲

 

・青野喜久都

・直野包久

・十河文太郎

・水本武夫

 

陸軍歩兵上等兵

 

=石丸照政

 

=大野隆一

 

=浅尾米吉

 

=矢野義広

 

=酒井恵

 

=藤坂猪佐男

 

=兵頭政一郎

 

=山本光夫

 

=舛谷進

 

 =工藤寅市

 

=村上直吉

 

=北谷義美

 

・高橋正雄

・上野静夫

・堀内末義

・林寛

 

1937年(昭和12)8月26日

3名(下士官2、兵1)

中華民国

陸軍歩兵伍長

 

=藤岡章

 

・横山敏夫

 

陸軍歩兵上等兵

 

=山内優

 

1937年(昭和12)8月27日

2名(下士官1、兵1)

中華民国

陸軍歩兵伍長

・兵頭義隆

 

陸軍歩兵上等兵

=一色幾次郎

 

1937年(昭和12)8月28日

72名(将校5、准士官2、下士官28、兵37)

中華民国

陸軍歩兵少佐

 

=齊藤勲

中隊長。

 

陸軍歩兵中尉

 

=小森達雄

 

陸軍歩兵少尉

 

=西原実

 

=渡邊繁市

 

=橋本竹馬

 

陸軍歩兵准尉

 

=藤田能一

 

=武田光市

 

陸軍歩兵軍曹

 

=武田益

 

=真木磯一

 

・松本力

・田坂学

 

陸軍歩兵伍長

 

=久保宗繁

 

=山本義光

 

=岡田正文

 

=塩崎照三郎

 

=木藤美善

 

=田中猪市

 

=大西勇

 

=檜垣和夫

 

=吉井稔行

 

=村瀬五郎

 

 

・富谷勇

・野本正

・小野音一

・矢野禎佐

・小田正

・渡邊政夫

・野島政義

・財津静鳳

・細川良則

・進藤長太郎

・毛利正八

・阿部寅一

 

陸軍衛生伍長

・浅野幸雄

 

陸軍歩兵上等兵

 

=白石範四郎

 

=井出繁一

 

=野本玉喜

 

=吉田房丸

 

=大塚勝二

 

=小木曽義春

 

 

=松友正明

 

=松原茂雄

 

=矢原豊松

 

=浅井清見

 

=能智成男

 

=立道長次郎

 

=佐々木熱己

 

=山下竹弘

 

=真部心一

 

=山本鉄雄

 

=大政周次郎

 

=大西梅木

 

=小澤舜

 

=山崎音一

 

・岡本粂治

・白石忠孝

・菊地隆義

・宮堺宗一

・瓜守伝次

・田中久義

・岡野正義

・矢野修

・池内忠義

・中本秀晴

・東海林勤

・清家壽仁

・岡野頼雄

・古谷準一

・碓井仲次郎

・小池二郎

・山口庫雄

広島陸軍病院

陸軍歩兵伍長

・中村円太郎

1937年(昭和12)8月29日

9名(下士官3、兵6)

中華民国

陸軍歩兵伍長

=保田四郎

 

=橘明

 

・平田盛三

 

陸軍歩兵上等兵

 

=高橋栄三郎

 

=原井川福徳

 

=木村行男

 

=竹森和一

 

・鴨川清臣

・内田豊

 

1937年(昭和12)8月30日

1名(下士官1)

中華民国

陸軍歩兵伍長

 

=富永勝実

 

1937年(昭和12)8月31日

3名(将校1、下士官1、兵1)

中華民国

陸軍歩兵少尉

 

=阿部通義

 

陸軍歩兵伍長

=菅直明

 

陸軍輜重兵一等兵

・徳永千太郎

 

 

=日ごとの戦没者数および死亡区分ごとの人数

1937年(昭和12)8月における歩兵第22連隊の戦没者

 

死亡者の発生傾向を見てみると、上陸翌日の8月25日・同28日の両日において多く発生していることがわかります。

 

部隊は違いますが、同じ第11師団の歩兵第12連隊のある分隊では、編成当初の12名中、1名を除いて全員が戦死、あるいは負傷、罹病とのことでした。

国内から送られてきていた補充員も死ぬか傷つくかして、絶えず人員が入れ替わっていたようです。

 

この事情に関する詳しいことは今後の機会に譲るとして、ひとまず8月分の戦没者のリスト化は終わりました。

以上になります。

 

 

新たに判明し次第、写真を追加していきたいと考えています。

現在手持ちの資料からある程度確認できていますが、総数のうち2割も集まっていません。

再度のおしらせになりますが、もしご遺族や、情報・資料をお持ちの方がいて、差し支えなければ、コメントまたはご連絡ください。

 

また、主として愛媛県人で編成されていた「歩兵第二十二連隊」、もしくは、愛媛県に本籍を持っていた陸軍軍人の方に関しても調査をしています。

関連する資料・情報について、もしご連絡をいただける場合、以下のXアカウントまでお願いいたします。

 

https://twitter.com/mt2ym2?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

 

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

次は翌9月のものを記事にしたいと思っています。

引き続き、よろしくお願いします。