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Ciao!

今回は調査対象者こと森貞の、履歴の概要をまとめたいと思います。

海軍軍人の場合は、請求窓口が厚生労働省になります。

必要書類を揃えて申請すると、調査対象者の履歴が開示されます。

申請の過程は、いずれまた記事にしようと思います。

今回の記事では、調査対象者の履歴を軽く整理します。

 

=調査対象者 海軍整備兵曹長 森貞

 

1913年 愛媛県に生まれる。

1934年 徴兵され海軍に入る。

その間 日中戦争・太平洋戦争に参加。

1942年 東シナ海において戦没。

 

 

 

シリーズ目次

 

プロローグ

 

履歴の整理

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履歴1

履歴2

履歴3

 

 

 

 

どんな資料があったか

 

 

上記リンクに示されているとおりに必要書類を揃えて申請すると、調査対象者の軍歴に関する資料が開示されます。

窓口となっている厚生労働省(社会・援護局 援護・業務課調査資料室)に必要書類を揃えて申請すると、このように返信があります。

 

=厚生労働省からの回答が入った封筒。

 

中を開けてみると......

ウワ、入っとる、入っとる.......

 

=上の封筒に入っていた調査結果。

 

 

=森貞兵曹長に関連する軍歴資料。

 

 

 

時期区分

 

ここでは、森貞兵曹長の履歴について、時系列を整理していきたいと思います。

詳しい解説は、次の記事からになります。

まず、生まれてから戦没するまでの本人の履歴を、4つに分けます。

すなわち

 

①海軍に入るまで

②整備兵になるまで

③日中戦争

④太平洋戦争〜戦没

 

とします。

 

今回取得した資料の中で最も重要であり、主として用いるものはこれです。

 

=森貞兵曹長の履歴原票。

 

 これは、家族状況、本籍地のほか最も必要な情報である、海軍入営後の本人の履歴を情報として持つ魔法の紙です。

 本人履歴の具体的な内容としては、進級や任官の状況、所属部隊・艦船、叙勲、移動などです。

 これらの情報が、日付とともに掲載されています。

 

 以下先程の区分に基づき、簡単に彼の履歴を整理したいと思います。

 赤字は、歴史的に有名な出来事です。

 

 

 

①海軍に入るまで

 

1913年

生まれる。

 

1930年

4月

ロンドン海軍軍縮条約

 

1931年

3月

北予中学校(現:愛媛県立松山北高等学校)を卒業する。

9月

柳条湖事件→満州事変

 

1932年

1月

第一次上海事変

9月

日満議定書

 

 

1933年

3月

日本、国際連盟脱退を通告

5月

塘沽停戦協定

12月1日

現役(兵役の服役区分の1つ)に編入される。

 

1934年

1月10日

海軍に入る。

佐世保海兵団(長崎県)に入団する。

 

 

 

 

 

森貞はちょうど、満州事変の年に旧制中学を卒業したようです。

当時は小学校高等科卒業が一般的な学歴であった中、中学校を卒業していたようです。

彼を知る親族によれば「秀才じゃった」とのことでした。

資料を用いて、次回以降の記事で詳しく見ていきましょう。

 

そこから海軍に入るまでは、約3年ありました。

その間何をしていたのかは、厚生労働省の履歴ではわかりません。

数枚残っていた写真に手がかりがありそうです。

ここも、次回以降の記事で見てみましょう。

 

また1933年、はじめて兵役に関する履歴が生まれます。

ここらも、当時の兵役に関する法令を参照して、見ていきましょう。

 

(ちっきしょう!読み応えのある記事になりそうです。)

 

 

 

②整備兵になるまで

 

1934年

5月15日

軍艦「長良」乗組となる。

11月15日

ふたたび佐世保海兵団(長崎県)に戻る。

 

1935年

6月21日

軍艦「榛名」乗組となる。

8月23日

第33期普通科整備術練習生に採用される。

霞ヶ浦海軍航空隊(茨城県)付となる。

 

1936年

2月

2・26事件

3月5日

普通科整備術練習生を修業。

整備兵に転科する。

大村海軍航空隊(長崎県)付となる。

 

 

 

はじめは、水兵さんだったようです。

海兵団の修業後、はじめて配属されたのは軍艦でした。

長良という艦です。

半年ほどでふたたび佐世保海兵団に帰りました。

そこから、どういうわけか航空機に関わることを望むようになり、一時的に榛名という艦に乗り組んだ後、普通科整備術練習生という課程に進みました。

第33期生だったようです。

 

卒業後は長崎県の航空隊に配属され、おそらくこの時期から航空機の整備に携わるようになりました。

この時期の写真も、数枚残っています。

その中に、はちゃめちゃに趣深いものがあるのですが........また今後の記事で紹介します。

 

 

 

 

③日中戦争

 

1937年

7月

盧溝橋事件→日中戦争

第13航空隊付となる。

周水子に進出。

12月

国民政府首都、南京が占領される

 

1938年

3月

第12航空隊付となる。

4月

感状を授与される。

5月

海軍三等整備兵曹に任官する。

下士官になる

11月

感状を授与される。

12月

高雄海軍航空隊(台湾)付となる。

 

1939年

5月

W基地に派遣される。

9月

本隊勤務

 

 

1940年

1月

本隊、原隊(台湾高雄)着

4月

感状を授与される。

支那事変における功により(固有名詞のため現在適切ではない呼称を用いましたが、他意はありません)

勲7等青色桐葉章および金500円を賜与される。

5月1日

本隊勤務

9月6日

本隊、原隊(台湾高雄)着

9月21日

感状を授与される。

 

 

 

森貞は、日中戦争が始まってから3つの航空隊に所属したようです。

 

・第13航空隊

・第12航空隊

・高雄海軍航空隊

 

これらの部隊がどのような部隊で、どのような戦闘に参加したのかを調べる必要がありますね。

特に高雄海軍航空隊には、戦没の原因となる異動までずっと所属していたようです。

 

また、日中戦争が始まってからは毎年のように何かの作戦に参加しており、派遣先の中で名前がわかるものでは、周水子W基地がありました。

中国のどこかだと思われますが、これについても場所を特定する必要があります。

彼の所属する航空隊が参加した作戦の概要について、調査しなければならないでしょう。

 

1938年の5月に、三等整備兵曹という階級になっています。

これは森貞が下士官になったことを意味します。

以後、軍服の種類が従来のセーラー服とは変わります。

このことは、残った写真の時期を特定する上でヒントになりそうです。

学ランのような軍服姿の写真が残っています。

 

 

この期間だけで、感状を4回ももらっています。

 

 

履歴にある説明を見る限り、個人としてもらったものではないようです。

しかしどうやら森貞兵曹長は、功績のあった部隊の一員であったようです。

また1940年4月29日付けで、勲章を賜与されています。

日中戦争の功績ということでしょうか。

次回以降の記事で詳しく見ていきましょう。

 

 

 

④太平洋戦争

 

1941年

1月

本隊勤務。

9基地に進出。

3月

本隊、原隊(台湾高雄)着

7月

漢口基地に進出。

9月

原隊復帰。

12月

真珠湾を攻撃

英領マレーも攻撃

→太平洋戦争

 

1942年

不明

329基地に進出。

6月

ミッドウェー海戦

8月23日

残留隊勤務。

9月3日

佐世保第二海兵団付となる。

9月4日

転属のため、樫野に便乗。

台湾 高雄を出発。

樫野沈没。行方不明となる。

海軍整備兵曹長に特進。

 

 

 

この時期になると、あまり履歴の記載も詳しくはなくなってきました。

太平洋戦争が始まって、部隊は台湾から南方諸地域に進出していたと推測されます。

反対に、記事も少なくなってきています。

名前がわかるところでは、9基地329基地というところにそれぞれ派遣されていますが、後者に関しては日付が記載されていません。

 

そして1942年の9月4日、とうとう戦没してしまいました。

転勤のため便乗した艦が遭難し、行方不明になった模様です。

直前の辞令の記事から、長崎の佐世保第二海兵団への転属途上であったことがわかります。

 

 

この状況について、厚生労働省の回答によると

佐世保第二海兵団に転勤のため特務艦「樫野」に便乗、昭和17年9月4日東シナ海方面(台湾北方東海)において、敵攻撃部隊と交戦中行方不明となり、同日戦死されたものと認定されております。

とのことです。

 

 

お葬式の写真が残っています。

親族一同が整列する中には奥さんが写っており、その手の中には彼が戦没した年に生まれたばかりの子供の姿がありました。

 

=森貞兵曹長の妻と子(本人の葬式において)

 

 

 

以上見てきたように森貞兵曹長は、海軍に約8年半所属していました。

日中戦争がはじまってからは毎年何かの作戦に参加し、所属していた部隊が、感状を授与されたこともあったようです。

次回は、この記事で区分したうちの ① について、情報に肉付けを行いながら、森貞の履歴をたどっていきたいと思います。

ここまでご覧いただき、Grazieございました。

 

もし彼について何か情報をお持ちの方があれば、以下のXアカウントまでご連絡ください。

 

https://twitter.com/mt2ym2